1章 1 トロイア占領の50年前にフェニキア人はアフリカのカルタゴに住み着いた。その建設者はゾロスとカルケドン、あるいはローマ人とカルタゴ人自身の見なすところではテュロスの女ディドで、彼女の夫はテュロスの支配者ピュグマリオンによって密かに殺された。この殺人が夢の中で彼女に暴露されたため、彼女は財産を携え、ピュグマリオンの独裁から逃れることを望んでいた人たちを伴いアフリカへと船出し、今日カルタゴが立っているアフリカの地域に到達した。住民の抵抗を受けたため、彼らは牛革で囲めるだけの土地を住処として求めた。アフリカ人はフェニキア人のこの浅はかさをあざ笑い、これほどに些細な要望を拒むことを恥じた。さらに彼らはこれほど狭い場所にどれほどの町が建つのか想像できず、その秘密を解きたいと思って譲渡に同意し、宣誓によって約束を保証した。フェニキア人はぐるぐると牛革を非常に細長く切って今日カルタゴの砦が建っている場所を囲み、その出来事のためにそこはビュルサ(革)と呼ばれた。 2 彼らの方がより器用だったために彼らはこの開始時より発展して近隣住民に対して優位に立ち、フェニキア人らしく海運業を営んだため、ビュルサの近辺に都市を建設した。徐々に力を蓄えた彼らはアフリカと地中海の大部分を征服し、シケリアとサルディニアとその他の海上の島々、そしてまたヒスパニアに戦争を仕掛けた。彼らは多くの植民団を送り出した。彼らはギリシア人と勢力を、それからペルシア人と富を争った。しかしその都市の建設のおよそ七〇〇年後にローマ人が彼らからシケリアとサルディニアを、そしてヒスパニアをも二度目の戦争で奪った。それから〔カルタゴ人とローマ人は〕互いに夥しい軍で互いの領地を攻撃し、ハンニバル麾下のカルタゴ軍は一六年間継続してイタリアを略奪したが、大コルネリウス・スキピオ指揮下のローマ軍が戦争をアフリカに移してカルタゴ勢力を粉砕し、彼らの船と象を取り、しばらくの間彼らに貢納を要求した。この時に二度目の協定がローマ人とカルタゴ人との間で結ばれて五〇年続いたが、それも違反のせいで三度目にして最後の戦争が彼らの間で勃発するまでのことだった。この際に小スキピオ麾下のローマ軍がカルタゴを徹底的に破壊し、再建を禁じた。しかしアフリカを統治するのに便利だったためにローマの人々自身によって後に同様の都市が以前の都市のすぐ近くに建設された。これらの主題のうちシケリアに関する部分は私のシケリア史で、ヒスパニアに関わる部分はヒスパニア史で、ハンニバルのイタリア遠征での事績はハンニバル史で示されている。この巻は最初期以来のアフリカでの軍事行動を扱うつもりである。 3 シケリア戦争が勃発するとローマ人はアフリカへと三五〇隻の艦隊を送り、多くの町を占領してアティリウス・レグルスに指揮を委ね、カルタゴ人への憎悪から彼に投降した二〇〇以上の町を落とした。そして立て続けに領地を略奪した。そこでカルタゴ人は自分たちの不運は将軍の采配宜しきを得なかったためだと考え、ラケダイモン人に将軍を送ってくれるよう求めた。ラケダイモン人はクサンティッポスを彼らのもとへと送った。レグルスは湖の畔に暑い季節に野営し、敵と一戦交えようとしてその周りを進軍し、彼の兵たちは武器の重さと塵、渇き、疲労で非常に苦しみ、近隣の高台からの矢玉に晒された。黄昏時に彼はある川にさしかかってそこで軍を二分した。クサンティッポスを怯えさせてやろうと考えて彼はこれをすぐに渡ったが、敵に容易く勝利できるだろうと予測したクサンティッポスは敵に嫌がらせをして疲弊させ、好都合な夜になると軍を出動させて野営地から突如出撃させた。クサンティッポスの予想は外れなかった。レグルス率いる三〇〇〇〇人のうち四苦八苦してアスピス市に逃げ延びたのは僅かな者だけだった。残りの全員が殺されたり捕虜になったりし、執政官レグルスその人も捕虜になった〔「この巻の付録〔「ヌミディア史」〕を見よ」(N)。〕。 4 戦いに厭いていたカルタゴ人は自分たちの使節団を伴わせた彼を、和平を得るか、和平が認めなければ〔カルタゴに〕帰すためにそう遠からずローマへと送った。尚もレグルスは戦争の継続をローマの主要な政務官たちに私人として強く訴え、それから拷問を受けるために戻ったが、カルタゴ人は彼を釘でいっぱいの檻に閉じ込めて殺した。この成功はクサンティッポスの悲痛の始まりとなったが、それというのもカルタゴ人はラケダイモン人に当然の信頼を置かず、豪勢な贈り物で彼を称えるふりをしてラケダイモンに帰る櫂船に彼を乗せたが、船の船長たちに彼と彼の仲間のラケダイモン人を海に投げ落とすよう命じたからだ〔「クサンティッポスは無事帰国したとポリュビオス(I. 36)は述べている。彼はクサンティッポスに対する邪悪な動きの報告を知っていただろうが、それを信用していない。〕。かくして彼らは彼の成功に罰でもって報いた。このようにして彼は自らの成功に対して罰を被った。カルタゴ人がローマ人にシケリアを渡すまでのアフリカでのローマ人の最初の戦争の結果は良きにつけ悪きにつけ以上のようなものだった。この次第は私のシケリア史の中で示された。 5 この後にローマ人とカルタゴ人は講和したが、後者に従属してシケリア戦争では支援部隊として働いていたアフリカ人と、給料が未払いで自分たちへの約束が守られていないと主張したケルト人傭兵は実に恐るべき仕方でカルタゴ人に戦争を起こした。カルタゴ人は友好に訴えてローマ人に助けを求め、協定で禁じられたことではあったがローマ人は彼らがこの戦争でのみイタリアで傭兵を雇い入れることを許した。にもかかわらず彼らは仲裁者の役を果たさせるために人を遣った。アフリカ人は仲裁を拒んだが、ローマ人が容れるならば彼らの従属民になりたいと申し出た。そこでカルタゴ人は大艦隊でもって町々を封鎖して海からの食糧供給を遮断し、陸は戦争の結果耕されていなかったので彼らは飢餓によってアフリカ人を破ったが、海賊行為によって自らの食い扶持を集めるよう追い詰められ、何隻かのローマの船を拿捕して乗組員を殺し、犯罪行為を隠蔽するために彼らを海に投じた。これは長い間知られずにいた。その事実が知られて説明を求められると、カルタゴ人はローマ人が自分たちへの戦争を議決するまで報いの時を先延ばしにしつつ、この時に補償としてサルディニアを引き渡した。この条項が先の和平条約に付け加えられた。 2章 6 遠からずカルタゴ人はヒスパニアに攻め込んで徐々に服属させ、この時にサグントゥム人がローマに訴えを起こし、カルタゴ人はイベロス川を越えないと合意し、これによって彼らの前進に対して境界が定められた。ハンニバル指揮下でカルタゴ人はその川を渡ってこの協定を反故にし、これを行うとハンニバルはヒスパニアでの指揮権を他の人たちに委ねてイタリアに向けて進軍した。ローマのヒスパニア担当司令官プブリウス・コルネリウス・スキピオとグナエウス・コルネリウス・スキピオの二兄弟はいくつかの目覚ましい活躍をした後に両方とも敵に殺された。彼らの後を引き継いだ将軍たちは成果が上がらなかったが、それもヒスパニアで殺されたプブリウス・スキピオの息子のスキピオがそちらに航行してくるまでのことだった。彼は自分が神によって遣わされてきて全ての事柄を神と相談しているのだと皆に信じ込ませ、見事優勢に立ってこの成功で大きな栄光を得て、自分の指揮権を自分から引き継ぐために送られた人に渡してローマに戻った。彼はハンニバルをイタリアから退却させてカルタゴ人に彼らの国土で報いを受けさせるために自分をアフリカに一軍と一緒に送るよう求めた。 7 イタリアがこれほどの長期戦で荒廃してハンニバルの略奪の的になっていて、マゴがイタリアの脇腹を突くべくリグリア人とケルト人の傭兵を集めている時にアフリカに軍を送るのは得策ではないと指導者らの一部は言い、この計画に反対した。自分たちの国土を目下の危機から救い出すまでは別の土地を攻撃するべきではないと彼らは言った。カルタゴ人は母国では危険な目に遭っていないのでイタリアを攻撃するほど大胆になっているし、もし戦争が彼らの戸口に迫ればハンニバルを呼び戻すだろう、と別の人たちは考えた。こうしてスキピオのアフリカ派遣が決まったが、彼らはハンニバルがイタリアを略奪しているうちはイタリアで軍を徴募することは許されなかった。もし彼が義勇軍を獲得すれば、彼らを引き連れてシケリアに当時いた部隊を使ってもよいとされた。彼らは彼に一〇隻の櫂船を調達する権限を与え、これらの乗組員を集めることを、さらにシケリアで修繕することも許した。彼らは彼が友人たちから集めた金以外何ら資金を彼に与えなかった。間もなく彼らにとってこの上なく素晴らしく栄光あるものとなったこの戦争に彼らが着手した当初の冷淡さはこれほどのものだった。 8 カルタゴと敵対するものと長らく神から霊感を受けた感のあるスキピオは、辛うじて歩騎七〇〇〇人の兵を集めてシケリアへと航行し、武器を持たずに自分に同行するよう命じた三〇〇人の選り抜きの若者を親衛隊にした。次いで彼は三〇〇人の富裕なシケリア人を選んで徴兵し、指定日に出頭するよう命じ、できる限りの武器と馬を提供した。彼らが来ると彼は、望むならば戦争のための〔自分の〕身代わりを出しても良いと彼らに言った。彼ら皆がこの申し出を容れると彼は三〇〇人の非武装の若者を連れて行き、他の者には彼らに武器と馬を提供するよう指示し、彼らはこれを喜んで行った。こうしてスキピオはシケリア人の代わりに、この好意で彼に直ちに感謝して後にも彼に立派な奉仕をした他の人たちの費用で見事に武装した三〇〇人のイタリア人の若者を擁することとなった。 9 カルタゴ人はこれらのことを知ると、ギスコの息子ハスドルバルを象を調達するために送り、リグリア人傭兵を徴募していたマゴに歩兵六〇〇〇人と騎兵八〇〇騎と七頭の象を急派し、スキピオをアフリカから撤退させるべくこれらと彼が集められた限りの他の部隊でもってエトルリアを攻撃するよう彼に指示した。しかしマゴはこれほどに距離の離れたハンニバルと合流できず、そして常に如何にすべきか躊躇っていたためにグズグズしていた。ハスドルバルは象の調達から戻ると六〇〇〇人の歩兵と六〇〇騎の騎兵をカルタゴとアフリカの人々から集め、五〇〇〇人の奴隷を船の漕ぎ手として購入した。また彼はヌミディア人から二〇〇〇騎の騎兵を調達し、傭兵を雇ってカルタゴから二〇〇スタディオン離れた野営地でその全員を訓練した。 10 支配域が分かれていたヌミディアには多くの酋長がいた。シュファクスは酋長たちのうちでも最高の地位を占めており、他の酋長よりも大きな栄誉を持っていた。有力な種族だったマッシュリイ族の王の息子のマシニッサという人もいた。彼はカルタゴで育てられて教育を受けていた。彼は見目麗しく立派な態度の人だった。ギスコの息子で、カルタゴでは右に出る者のいない地位にあったハスドルバルは、マシニッサがヌミディア人だったにもかかわらず自分の娘と婚約させ、婚約の後にこの若者を連れてヒスパニアでの戦争へと赴いた。これまたその少女を懸想していたシュファクスはこれに腹を立ててカルタゴの領土を略奪し始め、ヒスパニアから彼に会いに来ていたスキピオにカルタゴに共同で攻撃をかけようと提案した。カルタゴ人はこれを知り、シュファクスがローマ人との戦争でできる貢献の大きさを知ると、ヒスパニアにいたためにハスドルバルやマシニッサが知らないのをいいことに彼にこの少女を与えた。激怒したマシニッサはヒスパニアでスキピオと同盟を結び、一計を案じてこれをハスドルバルから隠した。この若者と娘に激怒して悲しみはしたが、ハスドルバルはマシニッサを殺すのが国家にとっては有益だと考えていた。かくしてマシニッサは父の死に際してヒスパニアからアフリカへと戻ると、ハスドルバルは彼を騎兵の一隊で護送し、あらゆる手を使って密かに殺すよう命じた。 11 マシニッサはこの陰謀を知ると逃亡の挙に及んだ。進んだり退いたり、さらに再び進んだりしながら日中でも夜でも投げ槍を投じる訓練を受けていた騎兵部隊を集めることで彼は自分が継承した戦力を強化した。というのも彼らの唯一の戦法は逃亡と追撃だったからだ。また、ヌミディア人たちは空腹に耐える術を知ってもいた。彼らはしばしばパンの代わりに草を食べて生き長らえ、水以外のものを飲まなかった。彼らの馬は穀類を食べたことがなく草だけを食べ、ほとんど何も飲まなかった。マシニッサはこのような兵およそ二〇〇〇〇人を集めて狩りへと絶えず率い、諸部族に対する略奪遠征を行ったが、それは彼ら自身にとってもできる限り有益な訓練だと考えたからだ。カルタゴ人とシュファクスはこの若者の戦備は自分たちに向けられたものだと考え、自分たちが彼にした侮辱を自覚していたものだから、手始めに彼と戦争して粉砕した後にローマ人と対決しようと決意した。 12 シュファクスとカルタゴ軍は数では圧倒的に勝っていた。彼らは荷馬車と荷物の長い列と贅沢品を伴いつつ進軍した。他方でマシニッサはあらゆる行いと忍耐の模範で、騎兵しか有しておらず、荷駄運搬獣も食料も持っていなかった。したがって彼はいっそう簡単に退却したり攻撃したり、砦に逃げ込んだりできた。包囲されると彼はしばしば部隊を分割してできる限り分散し、指定された合流地点に再び全軍が到着するまで朝な夕な一握りの部下と一緒に身を隠した。ある時には敵が野営していた周辺の洞窟に自分を含めて三人で身を隠したこともあった。彼は定まった野営地を決して持たなかった。彼の将軍としての能力はとりわけ自身の位置を隠すことにあった。したがって彼の敵は彼にいつも通りの攻撃をかけることが全くできず、彼の攻撃をかわせた試しがなかった。彼が夕方に来た場所であれば村であれ都市であれどこであれ彼は毎日物資を調達した。彼はありとあらゆるものを奪取して持ち去り、略奪品を部下に分配したため、彼は定期的な給与を払わなかったにもかかわらず、より良い戦利品に惹かれて多くのヌミディア人が彼のもとに参集してきた。 3章 13 このようにマシニッサはカルタゴ人との戦争を行った。一方でスキピオはシケリアで軍備を完了してユピテルとネプトゥヌスに生贄を捧げると、五二隻の軍船と四〇〇隻の輸送船、これに続く多数の軽量船を率いてアフリカへと航行した。彼の軍は一六〇〇〇人の歩兵と一六〇〇騎の騎兵から構成されていた。彼は投擲兵器、武器、そしてありとあらゆる装置、十分な補給物資も輸送した。こうやってスキピオは船旅を完了させた。カルタゴ人とシュファクスはこれを知ると、スキピオを破るまで当座はマシニッサと協定を結ぶふりをしようと決めた。マシニッサはこの術策に騙されなかった。あべこべに彼らを騙そうとした彼は予め全てをスキピオに伝えた上で、あたかも和解するつもりであるかのように騎兵を伴いながらハスドルバルのもとへと前進した。ハスドルバル、シュファクス、そしてマシニッサはウティカ市近くに互いにさほど距離を開けずに野営し、風で同地に流されたスキピオもまたすぐ近くに野営した。彼からほど遠からぬところに二〇〇〇〇人の歩兵と七〇〇〇騎の騎兵、一四〇頭の象を連れたハスドルバルがいた。 14 今やシュファクスは恐怖に突き動かされたためか、あるいは全ての党派に対しては代わる代わる不実だったため、自分の国が近隣の夷狄の攻撃を受けていると称して帰国した。スキピオは敵情を探るために分遣隊を送り出し、同時にいくつかの町を開城させた。かくしてマシニッサは夜に密かにスキピオの野営地に来て挨拶を交わした後、シュラクサイの僭主アガトクレスによって建設された都市の近く、ウティカからおよそ30スタディオンのところに五〇〇〇人を下らない兵を翌日に伏せるよう勧めた。夜明けに彼は騎兵隊長ハンノを送って敵を偵察するよう、そして住民が敵の接近を利用して革命を起こすことがないようウティカに入るようするようハスドルバルを説き伏せた。彼はそうしろと命じられれば追随すると約束した。かくしてハンノは1000人の選り抜きのカルタゴ人騎兵と多数のアフリカ兵と共に出撃した。マシニッサはヌミディア兵を連れてこれに追随した。したがって彼らはそこの町に来て、ハンノは小部隊を連れてウティカに入った。そこで伏兵の一部が姿を現し、マシニッサは騎兵の指揮を委ねられていたその指揮官に小部隊になった敵を攻撃するよう勧めた。彼はあたかもその動きを支援するかのように少しの距離だけ〔ハンノの〕後に続いた。それから残りの伏兵が姿を現してアフリカ兵を包囲し、ローマ軍とマシニッサは方々から彼らを共同で攻め立て、捕虜に取った400人を除いて鏖殺した。これを完了した後にマシニッサは引き返していたハンノをあたかも友人であるかのように追いかけ、彼を捕らえてスキピオの野営地まで送り、ハスドルバルの手中にいた自分の母と彼を交換した。 15 スキピオとマシニッサはその地方を略奪し、ハスドルバルによってヒスパニア、シケリア、イタリア本土から送られてきて原野で掘削作業をしていたローマ人捕虜を解放した。彼らはロカと呼ばれた大きな町も包囲したが、そこで多大な困難に遭遇した。彼らが攻城梯子をかけるとロカ人は和平交渉を求め、休戦して都市を引き渡すことを申し出た。そこでスキピオは撤退を下知した。しかし兵たちは包囲戦での被害に腹を立てて命令を拒んだ。彼らは城壁を上り、女子供もお構いなしに無差別虐殺をした。スキピオは生存者を無事に去らせ、それから軍から戦利品を取り上げ、命令に従わなかった将校たちに兵たちの面前でくじを引かせ、くじが当たった三人を死罪でもって罰した。こういったことをすると彼は再びその地方を略奪した。ハスドルバルは彼を伏撃地点までおびき寄せようとして騎兵指揮官マゴを送り出し、自身がスキピオに正面攻撃をかける一方でマゴに背後を突かせようとした。スキピオとマシニッサはこうして囲まれると、軍を二分して敵に向けて反対向きに向き直ってアフリカ兵五〇〇〇人を殺して一八〇〇人を捕虜に取り、残りは絶壁まで追いやった。 16 すぐ後にスキピオはウティカを陸海から包囲した。彼は結び付けた二隻の櫂船の上に櫓を建て、そこから三プースの長さの矢玉、大きな石を敵に投じた。彼は大損害を与えたが大損害を被りもし、船は酷く損傷した。陸側に彼は大堡塁を作り、破城鎚で城壁を壊し、城壁にかかっていた皮と他の覆いをかぎ爪で引き剥がした。他方で敵は堡塁を掘り崩し、引き結びで鉤爪を曲げ、横木の梁を差し挟むことで衝角の威力を弱めた。彼らは風が機械に向けて吹きつける時はいつでも火を持ってこれらに向けて出撃した。そこでスキピオはこの手段によるその都市の占領を絶望視し、その周りに厳重な包囲線を敷いた。 17 シュファクスは事の次第を知ると軍を連れて戻ってきて、ハスドルバルからほど遠からぬ地点に野営した。この期に及んで双方の友人だと称し、カルタゴ人のために建造された新手の艦隊の準備ができてケルト人とリグリア人の傭兵が到着するまで戦争を長引かせようと考えたため、彼は調停を提案した。ローマ人がアフリカでの戦争を、カルタゴ人がイタリアでの戦争をやめることが適切であり、ローマ人はシケリア、サルディニア、そして彼らが今保持している他の島々、並びにヒスパニアを保持すべきだと彼は考えた。もしどちらかがこれらの条件を拒むならば、自分はその相手側の軍に味方するつもりだと彼は述べた。これを行う一方で彼はマッシュリイ族の王国にマシニッサをしっかりと据えて、マシニッサに三人の娘の一人を選ばせて娶らせると約束してマシニッサを自分の方に引き込もうと試みた。この言伝を運んだ人は、マシニッサを説き伏せられなければ彼の家来の誰かを買収して彼を殺させるために黄金も持ってきていた。それが奏功しなかったので彼は家来の一人に彼を殺させるために金を払った。その家来は金をマシニッサのもとに持って行き、それを誰が渡したのかを暴露した。 18 そこでシュファクスは自分が誰も騙せなかったのを悟ると、公然とカルタゴ人に味方した。彼は、ローマ人が大量の軍需品と食料を置いていたトロンという名の内陸部の町を裏切りによって占領し、退去に応じなかった守備隊を皆殺しにした。彼はヌミディア軍の新手の大増援を呼び寄せた。今や傭兵が到着して艦隊の準備ができたために彼らは戦いを決意し、シュファクスがウティカの攻囲軍を、ハスドルバルがスキピオの野営地を攻撃する間に艦隊は艦隊に襲いかかることとされ、ローマ軍を数で圧倒するためにこれら全てが翌日に同時に行われるものとされた。 4章 19 マシニッサはあるヌミディア人から夕暮れにこれらの計画を知らされ、スキピオに通報した。スキピオは自軍がいくつもに分かれて敵の総攻撃に耐えられないほど弱体になっているのではないかと懸念したため、困惑した。彼はその夜すぐに将校たちを会議に招集した。彼らが皆何をしたものか途方に暮れているのを見て取り、自らも長らく熟考した後に彼は言った。「友よ、我らが助かるには勇気と迅速さ、そして形振り構わぬ戦いを措いてない。我らは敵の攻撃の先手を取らなければならない。我らがそれによって得るものをよくよく見てみよう。攻撃の突発性と、数で遙かに劣る者が攻撃側となるという非常な奇景が彼らを狼狽させるのだ。いくつかの隊に分かれてではなく一丸となって我らは力を振るうべきだ。敵の野営地は互いに離れているのだから、我らは一度に敵の全部とではなく、最初に攻撃の的に選んだ敵と戦うべきだ。我らが敵と個別に戦うならば戦力では互角だが、勇気と幸運で勝っている。もし天が我らに最初の敵への勝利を賜るならば、我らは別の敵を軽んじられるだろう。誰を最初に、どんな時間とやり方で攻撃すべきかについて、諸君らが望むならば今話そう」 20 彼ら皆が賛同すると、彼は続けた。「攻撃がさらなる恐怖をもたらすだろうし、敵の準備はできていないし、さらに闇の中で誰も味方を助けられないだろうから、攻撃の時はこの会議が終わった直後、まだ夜半の頃合いだ。だから我らは明日我らを攻撃する敵の狙いの先手を打つことになるわけだ。彼らは三カ所にいて、艦隊の位置は離れており、夜に艦隊を攻撃するのは簡単ではない。ハスドルバルとシュファクスは互いにそう離れていない。ハスドルバルは敵軍の頭だ。シュファクスは夜には何もすまいし、彼は夷狄で、女々しく臆病だ。さあ、全力でハスドルバルを攻撃しようではないか。予想に反して彼が野営地から出てくるならば、我らはマシニッサにシュファクスの待ち伏せをさせよう。歩兵を連れてハスドルバルの防備へと進み、今最も必要とされている高邁な希望と断固たる勇気をもって方々から包囲して強襲をかけよう。騎兵は夜襲ではあまり役に立たないから、彼らを敵野営地を少し離れたところから包囲させるために送ろう。こうすればもし我らが敗れたとしても受け入れてくれ、撤退を援護してくれる友軍を持つことになるし、勝利すれば彼らは逃げる敵を追撃して壊滅させてくれるだろう」 21 このように述べると彼は兵を武装させるために将校たちを送り出し、夜に混乱陥らないように、しかし軍が大いに大胆さを発揮できるようにと勇気の神、そしてまた恐怖の神に生贄を捧げた〔「ローマの信仰は非常に多くのものを含んでいる。デュリュイ曰く「ゆりかごから墓場まで人間生活のあらゆる活動に神がいる」(N)。〕。第三夜警時にラッパが軽く吹かれて軍が移動し、騎兵が完全に敵を包囲して歩兵が壕に到着するまで完全な沈黙が漂っていた。それから敵に恐怖を起こすためのラッパと角笛の耳障りな一吹きと叫び声とが混ざり、彼らは前哨基地から見張りを一掃して壕を埋め、柵を引き倒した。最も大胆な兵たちは先陣を切り、小屋の一部に火を放った。アフリカ兵は眠りから冷めて狼狽し始めたため、武器を探して混乱しつつも隊列を組もうとしたが、騒音のために将校の命令が聞こえず、将軍自身も事の次第がはっきりとは分からなかった。方々で混乱しつつも動き始めて武器を取ろうとしていた彼らをローマ軍は捕捉した。彼らはさらに小屋に火を放ち、出会う者を殺しまくった。侵攻軍の騒音、彼らの姿、そして彼らが暗く何も確実なものがない中で行った恐るべき行動が大惨事を完全なものにした。野営地が奪取されたと考え、燃える小屋の火勢を案じたために彼らは喜んでそこから脱出し、より安全な場所だと思って平原へと殺到した。こうして彼らは折良く大慌てで走り、彼らを完全に包囲していたローマ騎兵は彼らに襲いかかって殺戮した。 22 シュファクスは騒音を聞いて夜の火事を見ると、持ち場を離れずにハスドルバル救援のために騎兵の分遣隊を送った。マシニッサは事の次第を知らない兵に襲いかかって大殺戮をした。ハスドルバルは逃げて彼の軍は壊滅したり捕虜になったり散り散りになったりし、自分の野営地と軍需品がローマ軍の手に落ちたことを夜明けに知ったシュファクスは、スキピオがカルタゴ軍の追撃から戻ってきて自分に襲いかかるのではないかと恐れ、全てを後に残して内陸部へと大慌てで逃げた。マシニッサは彼の野営地と財産を手に入れた。 23 かくして一つの大胆な行動と夜のほんの一時でもってローマ軍は自軍より遙かに強大な二つの野営地と二つの軍を粉砕した。ローマ軍はおよそ一〇〇人の戦死者を、敵は三〇〇〇〇人を下らない戦死者と二四〇〇人の捕虜を出した。さらに600騎の騎兵が、引き返すところだったスキピオに投降した。象は殺されたり捕らえられたりした。スキピオは蓄えられていた大量の武器、黄金、銀、象牙、そしてヌミディアとその他の土地の馬を手に入れ、一度の見事な勝利でカルタゴ人を意気消沈させると、軍に褒美を配って戦利品のうちで最も値の張る物をローマへと送った。それから彼は、速やかにイタリアからハンニバルが、リグリアからマゴが到来すると予想して軍を入念に訓練させた。 24 このようにしてスキピオは戦い、夜戦で負傷したカルタゴの将軍ハスドルバルは五〇〇騎の騎兵と共にアンダの町へと逃げ、同地で戦いから逃げてきた幾ばくかの傭兵とヌミディア兵を集め、入隊すれば全ての奴隷に自由を与えることを宣言した。采配宜しきを得なかったためにカルタゴ人が自分に死罪を宣告してボミルカルの息子ハンノを指揮官に選出したことを知ると、ハスドルバルは軍を我が物として多数の悪漢を雇い入れ、物資補給のために国土で強奪を働き、自軍に三〇〇〇騎の騎兵と8000人の歩兵を訓練させて専ら戦いに自らの希望を賭けた。彼の行動は長らくローマ人にもカルタゴ人にも知られずにいた。そして今やスキピオは軍が準備万端になるとカルタゴへと率いていき、居丈高に挑戦したが誰も応じなかった。他方で提督のハミルカルはスキピオの海軍基地に到着すれば彼を出し抜けると期待し、そこにいた二〇隻のローマ船を一〇〇隻でもって易々と撃破できると考え、一〇〇隻の船でそこを攻撃すべく急行した。 25 スキピオは彼が去って行くのを見ると、重荷を載せた船をそこかしこに投錨させて港の入り口を予め封鎖しておくよう命じ、このたためにさながら門があるかのようになり、好機があっても櫂船は出ることができなくなった。それらの船は桁端で結わえ付けられており、防壁にするために互いに固定されていた。この作業をすると彼は行動に入った。カルタゴ艦隊が攻撃をかけると彼らの船はローマ船、岸、そして防壁から矢玉で乱打され、夕暮れに打ち負かされて退却した。彼らが退却に移ると、ローマ艦隊は彼らに追いすがって開けた場所で矢玉を放ち、この時に彼らは叩きのめされて再び退却した。彼らは人の乗っていない一隻の船を曳いてスキピオのもとへと運んだ。この後に両軍は越冬地に向かった。ローマ軍は海路で豊富な物資を受け取ったがウティカ人とカルタゴ人は飢餓で苦しんだため、ローマからスキピオのもとに送られた新手の櫂船団が敵を封鎖して略奪に待ったをかけるまで商船を略奪し、その後に彼らは飢餓で極度に追い詰められた。 5章 26 この同じ冬、シュファクスが近くにいたためにマシニッサはスキピオにローマ軍の三分の一を自軍の増援にしてくれるよう頼み、ラエリウス指揮下のこの軍と共同でシュファクスの追撃に入った。シュファクスはある川にさしかかるまでは退却していたが、ここで戦いに打って出た。双方のヌミディア軍はいつも通り矢玉の一斉射撃をした一方でローマ軍は盾を前に掲げながら前進した。シュファクスはマシニッサを見ると怒りに駆られて彼に突っ込んだ。後者は熱烈に彼に応戦した。彼らの戦いはシュファクスの軍が敗走に転じて川を渡り始めるまで続いた。シュファクスの馬は傷を受けて乗っていた者を投げ出した。マシニッサは駆け寄って彼を息子共々捕らえ、すぐに彼らをスキピオのもとに送った。この戦いでシュファクスの兵一〇〇〇〇人が殺された。ローマ軍の損害は75人、マシニッサの損害は300人だった。シュファクスの兵四〇〇〇人も捕虜になり、そのうち二五〇〇人がマシニッサからシュファクスに寝返ったマッシュリイ族だった。マシニッサは彼らを自分に引き渡してくれるようラエリウスに頼み、彼らを受け取ると剣にかけた。 27 この後に彼らはマッシュリイ族とシュファクスの国に入り、一部は説得で、その他の者たちは無理矢理にマシニッサの権力の下に彼らを置いた。キルタから来た代表団はシュファクスの宮殿を彼らに差し出し、とりわけシュファクスの妻ソフォニスバのもとからマシニッサのもとに来た者たちは彼女が無理矢理結婚させられたのだと説明した。マシニッサは彼女の弁明を受け入れて喜んで彼女を娶ったが、彼はスキピオのもとに戻った時に何が起こるのかを予期して彼女をキルタに残した。スキピオはシュファクスに尋ねた。「貴下がご自身の友人としてアフリカに来るよう私を招いた後、どんな悪霊が貴下を誤らせ、我々がカルタゴ人に対して貴下を助けてからさほどたっていないうちに神々への宣誓とローマの人々への貴下の誠意を犠牲にさせ、我らとの戦争でカルタゴ人に加担したのでしょうか?」。シュファクスが答えて曰く「私を恋に落として痛めつけたハスドルバルの娘ソフォニスバが彼女の国をいたく恋い焦がれており、彼女は彼女の願いに皆を従わせることができたわけです。彼女は私をあなた方との友情から彼女自身の国との友情へと転じさせ、幸運な状態から目下の悲惨へと私を投げ込んだというわけです。私は彼女がマシニッサを彼女の計画に引きずることがないよう気をつけるよう――今やあなたの側にいてソフォニスバを奪われた以上、私はあなたに誠実であるべきだからですが――あなたに求めるが、それはこの女の愛国心は彼女をローマの側に靡こうとは思わせないほどに強烈なものだからです」。 28 彼はこう言ったが、彼が真実を述べているのか、それとも嫉妬に駆られて可能な限りマシニッサを傷つけようとしているのかは分からない。しかしスキピオはシュファクスを顧問会に呼び、彼が聡明で国のことに通じていることを示したので、キュロスがリュディア王クロイソスにしたような忠告を彼にした。ラエリウスが戻ってきて、ソフォニスバについて他の多くの人たちから聞き知ったのと同じことを言うと、スキピオはマシニッサにシュファクスの妻を手放すよう指示した。マシニッサが断ろうとして彼女に関する上記のような事実〔ソフォニスバがシュファクスと無理矢理結婚させられたこと〕を述べるとスキピオは、彼女を自分の勝利の戦利品にしてはならないと、しかし彼女が引き渡された後に彼女を要求して、それが叶うならば手に入れるようローマの威令でもっていっそう厳しく命じた。したがってマシニッサはソフォニスバを連れて行こうとローマの分遣隊を連れて向かったが、自身は先んじて密かに進んで彼女に毒を渡し、状況を説明して彼女にはこれを飲むか自分からローマに捕まるかのどちらかの道しかないと言った。他に言葉を発することなく彼は馬に乗った。彼女は乳母にその杯を見せ、自分は名誉ある死を迎えるのだから泣かないよう言い、毒を呷った。マシニッサは彼女の遺体を今し方来たローマ兵に見せ、それから王のような葬式を挙げた後にスキピオのもとに戻った。後者は彼を讃え、価値のない女を失ったことについて彼を慰めるためにシュファクスへの攻撃の成功に報い、多くの贈り物を彼に与えた。シュファクスがローマに到着すると、何人かの大物は彼がヒスパニアでは友人であり同盟者だったために彼を助命すべきだと、他の人たちは彼が友人と戦ったために処罰を受けるべきだと考えた。その間に彼は心労から病を得て死んだ。 29 ハスドルバルは兵をよく訓練するとカルタゴの将軍ハンノに手紙を送って自分と指揮権を共有しようと提案し、強制されてスキピオの下で勤務していて黄金で買収されればスキピオの陣営に火を放つつもりだと約束している多くのヒスパニア兵がいることをほのめかした。然るべき時に知らせてくれれば自分は手を貸すつもりだと彼は言った。ハンノはハスドルバルを騙そうと意図してはいたものの、その提案を無視することはなかった。彼は信頼できる人物を逃亡兵を装わせ黄金を持たせてスキピオの陣営へと送り、彼は会った人たちの信頼を勝ち取って多くの者を買収し、陰謀の決行日を指定して姿をくらました。ハンノはハスドルバルにその日を伝えた。生贄を献げている最中のスキピオに対し、生贄は火から来る危険があると示した。したがって彼は燃え盛る火が見つかれば消すよう野営地中に命令を発した。彼は数日間生贄を捧げ続け、生贄がまだ火の危険を示していると、彼は不安になって野営地を移動させることを決意した。 30 この時期にあるローマ騎士のヒスパニア人奴隷が何らかの陰謀を疑い、共謀者のふりをすることでそれについての一切合切を知り、これを主に伝えた。そのローマ騎士は件の奴隷をスキピオのもとへと連れて行き、彼は〔裏切りを約束したヒスパニア兵の〕全群衆を有罪とした。スキピオは彼ら全員を処刑して彼らの遺体を野営地の外に投げ捨てた。ほど遠からぬところにいてこれをすぐに知ったハンノは合流地点に行かなかったが、これを知らぬハスドルバルはそのようにした。多数の死体を見た彼は何が起こったのかを推測して退却した。しかしハンノは彼を中傷し、彼はスキピオに寝返るために言ったが受け入れて貰えなかったのだと皆に向けて言った。したがってハスドルバルはこれまで以上にカルタゴ人への憎悪を募らせた。この頃にハミルカルがローマ艦隊に急襲をかけて1隻の櫂船と重荷を積んでいた6隻の船を拿捕し、ハンノはウティカを包囲していた軍を攻撃したが撃退された。何の成果もなく包囲が長引いていたため、スキピオはこれを取りやめて攻城兵器をヒッポの町まで移動させた。彼はそこで何も成し遂げられなかったので、もう役に立たない攻城兵器を焼いて郊外を占領し、一部は同盟者にしてその他は略奪した。 6章 31 カルタゴ人は失敗に落ち込んでハンニバルを司令官に選出し、彼を急いで来させるために艦隊と一緒に提督を送った。同時に彼らは和平とハンニバル到着までの時間稼ぎで二股をかけようと考え、スキピオのもとに和平交渉のための使節団を送った。スキピオは休戦に同意し、軍の十分な食料を得ていたのでローマに使節団を送ることを彼らに許した。彼らはそのようにしたが、敵であるとして受け入れてもらえずに城壁の外側に留まるよう要求された。元老院が彼らに接見すると、彼らは許しを求めた。元老院議員の一部はカルタゴ人の不実さに触れ、いかに彼らがしばしば協定を結んでは破ってきたか、ハンニバルがローマ人とヒスパニアとイタリアの同盟者たちに加えた危害について述べた。イタリアは度重なる戦争で疲弊している以上はカルタゴ人は自分たちほど平和を必要としているわけではないし、スキピオに向けて動いている大軍、イタリアからハンニバルが連れ帰る軍、リグリアからマゴが連れ帰る軍、カルタゴのハンノの軍という彼らが瀕している危険の大きさがどれほどのものなのかを他の議員たちは表明した。 32 元老院は同意に至れなかったが、スキピオに彼の相談相手になって最善と思うことは何であれ行わせるための顧問団を送った。スキピオは以下の条件でカルタゴ人と和平を結んだ。マゴはリグリアを即座に退去し、今後カルタゴ人は傭兵を雇ってはならず、彼らは三〇隻の長い櫂船しか保有してはならず、彼らはいわゆる「フェニキア壕」以内の領域から足を踏み出してはならず、彼らはローマ人に全ての捕虜と脱走兵を引き渡し、六〇〇〇タラントンの銀を期日以内に支払わなければならず、またマシニッサはマッシュリイ族の王国と彼が切り取った限りのシュファクスの領地を保有するものとする。これに合意すると、一方は両執政官の宣誓を取り付けるためにローマへ、他方はカルタゴの政務官たちにそれらを受け入れさせるためにローマからカルタゴへ、という具合で双方の代表団は出航した。ローマ人はマシニッサに同盟に対する褒美として黄金の冠、黄金の印璽付きの指輪、象牙製の椅子、紫の外衣、黄金の装飾具を着けた馬、一揃いの鎧を授けた。 33 他方でハンニバルはカルタゴの人々の当てにならない性格と政務官への彼らの不誠実さ、そして彼らの全般的な向こう見ずさを知りつつも渋々アフリカへと出航した。彼は協定が機能するとは信じておらず、仮にそうなったとしてもそう長くはあるまいとよくよく分かっていた。彼はアフリカのハドルメトゥム市に上陸し、穀物を集めて馬を買い入れ始めた。彼はアレアキダイ族と呼ばれるヌミディア人の部族の酋長と同盟を結んだ。逃亡兵として彼のもとに来た4000人の騎兵を彼は弓で殺した。以前はシュファクスの兵だったが後にマシニッサの兵になっていた彼らを彼は疑っていたのだ。彼は彼らの馬を自軍に与えた。別の酋長のメソトゥルスが一〇〇〇騎の騎兵を連れて、そしてシュファクスの別の息子で、父の領土の過半を治めていたウェルミニアが彼のもとにやってきた。彼はマシニッサのいくつかの町々を降伏させたり攻め落としたりして手に入れた。彼は以下のような術策によってナルケの町を落とした。彼らの市場で取引をするにあたり彼は彼らにさも友人に宛てるかのような文言の手紙を書いた。罠を発動させる機会が訪れたと考えると、彼は短剣を隠し持った多数の兵士を送り出し、ラッパが鳴るまで商人に危害を加えないようにと、そして然る後に出会う者に片っ端から襲いかかって自分のために門を占拠するよう命じた。このようにしてナルケは落とされた。 34 協定が最近結ばれてスキピオがまだそちらにいて、自分たちの使節団がまだローマから帰ってきていないにもかかわらず、カルタゴの大衆は彼らの評議会の脅しと、つい最近結ばれたばかりの協定を破るなという訓戒を無視し、嵐のせいでカルタゴの港へと流されていたスキピオの貯蔵庫のいくつかを略奪して、輸送人を鎖に繋いだ。人々は協定に欠陥があると見ていて、協定の破棄よりも飢餓の方が危険だと言った。スキピオは協定の後に戦争を再開するのは得策ではないと考えたが、悪事を働いた友人に賠償を要求した。人々は彼の伝令たちを自分たちの使節団がローマから戻ってくるまで留め置こうとして彼らを捕らえたが、大ハンノとハスドルバル・エリポス〔「子ヤギ」の意〕は群衆の中から彼らを救出して二隻の櫂船に乗せて送り出した。しかし他の者たちはアポロンの岬〔チュニス湾の西端を成す現在のファリナ岬。〕の近くに投錨していた提督ハスドルバルに、護送船団が彼らのもとを出航するとスキピオの櫂船に襲いかかるよう手紙を送った。彼はこの通りにし、使者の一部は矢で殺された。他の者たちは負傷して漕ぎ手たちは自陣の港に滑り込み、拿捕されかけていた船から飛び降りた。このように彼らはあわや捕らえられそうになりながらも逃げ延びた。 35 母国のローマ人はそれらのことを知ると、和平交渉のためにまだそちらにいたカルタゴの使節団を敵とみなしてすぐさま退去するよう命じた。したがって彼らは出航し、嵐でスキピオの陣営へと流された。彼らをどうすれば良いのかと尋ねてきた提督にスキピオはこう言った。「カルタゴ人の不実さを真似ることはない。危害を加えず送り出せ」。カルタゴの元老院はこれを知ると、彼らの振る舞いとスキピオのそれを対比して人々をたしなめ、合意に賛同してカルタゴ人の悪行への賠償を受け取ってくれるようスキピオに嘆願するよう勧めた。しかし人々は何が自分たちに有利なのかを十分に分かっていなかったので元老院に失敗についてくどくど文句を言い、大衆指導者によって突き動かされて無益な希望で興奮させられたためにハンニバルと彼の軍を呼び寄せた。 36 ハンニバルは戦争の規模を鑑み、ハスドルバルと彼の手元の軍を呼び寄せるよう彼らに頼んだ。したがってハスドルバルは罪を許され、彼はハンニバルに自分の軍を引き渡した。それでもなお彼はカルタゴ人の前に姿を見せず、市内に身を隠した。今やスキピオは艦隊でカルタゴを封鎖して海路での物資輸送を遮断していた一方、カルタゴ人は陸から戦争のために僅かな補給を受けていた。この頃にザマ近くでハンニバル軍とスキピオ軍の間で騎兵戦闘が起こり、後者が優勢に立った。続く日々に彼らは様々な待ち伏せ攻撃を仕掛けたが、それもハンニバルの食料がごく僅かしかなくて食料護送部隊を待っていることを知ったスキピオが食糧輸送部隊を攻撃するために夜に軍団副官のテルムスを送るまでのことだった。テルムスは隘路にある丘の頂上に陣取り、そこで4000人のアフリカ兵を殺してこれを上回る捕虜を取り、スキピオのもとに食料を運んだ。 37 ハンニバルは物資の欠乏で苦境に陥って目下のところどうしたものかと考慮するとマシニッサに使者を送って彼の前半生とカルタゴでの養育を思い起こさせ、そしてスキピオに協定の更新を説得するよう求め、先の違反は一般大衆と彼らを唆した愚か者たちのやったことだと言った。実際にカルタゴで育って教育を受けていてその都市の威信を大いに敬っており、住民のうちに多くの友人を持っていたマシニッサはスキピオに応じるよう求め、彼らと以下のような協定を結ばせた。カルタゴ人は、ローマ軍に食糧を輸送するためのものだったが拿捕されていた人員と船舶、全ての略奪品、あるいはスキピオが〔略奪品と同額の〕価値に相当すると査定するだけの物を引き渡し、一〇〇〇タラントンを悪事への賠償金として支払うべし。これらは合意された。休戦はカルタゴ人がその詳細について知らされるまでと決められた。したがってハンニバルは予期せぬ仕方で命拾いした。 7章 38 カルタゴの評議会は合意を熱烈に受け入れ、彼らの不運と目下の兵士、資金、そして食糧不足の全てを説明してこれらの条項を遵守するよう人々を促した。しかし人々は単なる暴徒のように愚かしく振る舞った。将軍たちがこの処置を取ったのは私的な目的のためであり、自国で権力を掌握するためにローマ人を頼ったのだと彼らは考えた。夜に野営地を敵に引き渡して少ししてスキピオに投降しようと望んでいたが、その目的に達するために今は市内に隠れているハスドルバルが以前行ったことを今ハンニバルもやっているのだと彼らは言った。そのために大騒動と騒擾が起こり、彼らの一部は徒党を組んでハスドルバルを探しに出た。彼は父の墓に身を隠すことで彼らの機先を制し、そこで毒を呷って死んだ。しかし彼らは彼の遺体を引き裂いて首を刎ね、槍に刺して市内を晒しものにして回った。このようにハスドルバルはまず不正にも追放され、次いでハンノによってでっち上げの中傷を受け、それからカルタゴ人によって死へと追い詰められて引き回されて辱められた。 39 休戦を破棄してスキピオとの戦争を開始し、食糧不足を理由として可及的速やかに戦うようカルタゴ人はハンニバルに命じた。したがって彼は休戦は終わったという手紙を送った。スキピオはすぐに進軍し、パルタという大都市を落としてハンニバルの近くに野営した。後者は去りはしたがローマの野営地に三人の間諜を放ち、彼らはスキピオに捕らえられた。スキピオは間諜を扱う慣例に通りに彼らを殺すことはせず、野営地の周りを回って野営地、倉庫、兵器、そして軍を見せるよう命じた。それから彼は彼らを解放したため、彼らはハンニバルに一切合切を知らせたことであろう。ハンニバルはスキピオと和平交渉をするのが賢明だと思ってそれが認められると、カルタゴ人は賠償金のせいで以前の協定を拒否したのだとハンニバルは言った。もし彼がそれを認めて、ローマ人がシケリア、ヒスパニア、そしてその時に保有していた島々で満足していれば、協定は長続きするだろう〔、とハンニバルは述べた〕。スキピオは「ハンニバルがこれらの追加条件を手に入れることができれば、彼のイタリアからの逃避は彼にとって大きな利益になるだろう」と言った。それから彼はハンニバルにこれ以上の言伝を送ることを禁じた。幾らかの脅し文句の応酬をした後に彼らはそれぞれの野営地へと去った。 40 キラの町の近くには野営地を置くのに適した丘があった。ハンニバルはこれを知ると、そこを奪取して野営地を置くために分遣隊を送った。それから彼は出発し、すでにそこを占拠していたかのように向かった。スキピオは彼の裏をかいて先んじて占領し、ハンニバルは水のない土地のど真ん中に切り離されて夜通し井戸を掘る羽目になった。彼の軍は砂のせいで苦労してやっとのことで飲める僅かな泥水を手に入れただけで、何も食べず、体を労ることもなく、一部の者は武装を解かずに夜を明かした。スキピオはそれらのことに留意し、彼らが不眠で水もなく、進軍で疲れ果てていた日中に彼らの方へと動いた。ハンニバルはその状態で戦いを交えることを望んでいなかったために悩んだ。その上、そこに留まれば軍は水不足で酷い被害を被るだろうが、他方で退却すれば敵は勇気を新たに得て後衛に襲いかかるはずだと彼には分かっていた。こういった理由から彼は一戦交えなければならなかった。彼は速やかに約五〇〇〇〇人の兵と八〇頭の象に戦闘隊形を組ませた。敵の隊列を恐怖させるために彼は戦列の前面に間隔を開けて象を配置した。これの次に彼は三分した軍の三つ目の部隊としてケルト兵とリグリア兵から構成された部隊を配置し、その至る所にマウロス兵とバレアレスの弓兵と投石兵を混ぜた。彼らの後ろの第二列はカルタゴ兵とアフリカ兵から構成されていた。第三列は自分たちの国から彼に付き従ってきたイタリア兵が構成し、彼らは最も敗北を恐れていたために彼は彼らに最大の信頼を寄せていた。騎兵は両翼に配された。ハンニバルはこのように軍を配置した。 41 スキピオはおよそ二三〇〇〇人の歩兵と一五〇〇騎のイタリアとローマの騎兵を有していた。彼は多数のヌミディア騎兵を連れていたマシニッサ、一六〇〇騎の騎兵を連れていたダカマスという名の別の君公を同盟軍として擁していた。ハンニバルと同様、彼も歩兵を三列に並べた。彼は間隔を開けて全大隊を真っ直ぐに配置することで騎兵が速やかに彼らの間を通れるようにした。各大隊の前面に彼はほとんど鉄で覆われた二ペキュスの長さの重量のある杭で武装した兵を配置したが、それは間近に迫り来る象をカタパルトの太矢で攻撃するかのように攻撃するためだった。彼は脇へ回り込むことでその獣の衝撃を避け、絶えず投槍を投じ、機が許せばその周りに群がって後ろ足の腱を射るよう彼らと他の歩兵に命じた。このようにしてスキピオは歩兵を配置した。ヌミディア騎兵は象の姿と臭いに慣れていたため、彼は彼らを両翼に配置した。イタリア騎兵はそうではなかったので、彼は彼らを全て後詰めに置き、歩兵が象の最初の攻撃を防ぐと歩兵の隙間から突撃をかける用意をさせた。これらの獣の攻撃を防ぐための大量の投矢で武装した随伴兵が各騎兵に割り当てられた。このように彼の騎兵は配置された。ラエリウスは右翼を、オクタウィウスが左翼を指揮した。中央にはハンニバルと彼自身が互いを慮って陣取り、両者は必要な箇所への増援として送るために騎兵の一隊を手元に置いていた。それらに関し、ハンニバルは四〇〇〇人、スキピオは二〇〇〇人、そしてこれに加えてシケリアで武装させたイタリア兵三〇〇人を有していた。 42 準備万端になると双方は馬で駆け回って兵士たちを激励した。スキピオは軍の面前で、カルタゴ人が協定を頻繁に反故にすることで立腹させていた神々に祈願した。彼は兵士たちに敵の数ではなく自分たちの勇気、以前に同じく数で勝る兵力を擁していた敵がこの同じ地方で敗北したことに思いを致すよう語った。恐怖、不安、そして疑念がかつて勝利を得た者たちにのしかかるならば、そういった感情が敗者によりいっそうどれほどの重荷になるだろうか、と彼は述べた。このようにスキピオは兵を激励し、数の劣勢に関して元気づけた。ハンニバルはヌミディア兵ではなく全員がイタリア人だった兵に対してイタリアで彼らがしたこと、偉大で輝かしい勝利を思い出させた。一目瞭然なことだが、彼は敵軍の少なさを指摘し、彼ら自身の国で数で劣る側に後れを取ってはならないと激励した。各将軍は兵たちに来たる戦いの結果を誇張して示した。この戦いはカルタゴと全アフリカの運命を決することになるものであり、もし敗れれば彼らはすぐに奴隷にされ、勝てば今後は世界の覇権を握ることになるだろうとハンニバルは言った。敗れたならば彼の兵たちには安全な逃げ場はないが、勝てばローマの勢力は大いに増大し、目下の労苦からの憩い、速やかな帰郷、かつてないほどの栄光がもたらされるとスキピオは言った。 43 このように兵を激励すると彼らは戦いに入った。ハンニバルはラッパを鳴らすよう命じ、スキピオもそれに倣った。恐るべき武装を身に纏った象は乗り手に突き棒で駆り立てられながら戦いを開始した。ヌミディア騎兵は絶え間なく投げ矢を突き立てながらこれらの周りを旋回した。象が傷付き逃走し、手に負えなくなると乗り手たちは象を戦線から離脱させた。このことはたまたま両翼の象に起こった。こういう戦い方に慣れておらず、重い鎧のせいで避けたり簡単に追撃したりできなかったローマ歩兵を中央の象は踏み潰したが、それもスキピオが後衛にいたより軽装備のイタリア騎兵に怯えた馬から下りるよう、そして象を取り囲んで突き刺すよう命じて彼らを差し向けるまでのことだった。彼は真っ先に馬から下り、前へとドシドシと歩く象に怪我を負わせた。他の者たちは彼の実例で勇を鼓し、象に被害を与えて退却させた。 44 戦場からこの獣が一掃されると、今や戦いは人馬だけのものになった。ラエリウスが指揮していたローマ軍右翼は対峙するヌミディア兵を敗走させてマシニッサは彼らの酋長マッサテスを矢で倒したが、ハンニバルは速やかに救援に向かって戦線を立て直した。オクタウィウスが指揮を執り、ケルト兵とリグリア兵と対陣していた左翼では、戦いの帰趨はおぼつかなかった。スキピオは軍団副官テルムスを精鋭部隊の援軍と共に送ったが、ハンニバルは左翼部隊を呼び集めた後にリグリア兵とケルト兵の救援に急行し、それと同時にカルタゴ兵とアフリカ兵の第二列を投入した。スキピオはこれを知ると向かい合う第二列を投入した。この世界で最も偉大な二人の将軍がこのように白兵戦で会った時には双方の兵士の一部には見事な競争心と司令官への敬慕があり、鋭く激烈な戦闘と激励のために双方では誰一人として熱意に欠けなかった。 45 戦いが長引いて決着がつかなかったので両将は疲労した兵士を憐れみ、いっそう速やかに決着をつけるべく互いへ向けて急き立てた。彼らは同時に投槍を放った。スキピオはハンニバルの盾を粉砕した。ハンニバルはスキピオの馬に当てた。怪我に腹を立てた馬はスキピオを後ろに振り落とした。彼はすぐに別の馬に乗って再びハンニバルに投矢を放ったが、外れて彼の近くの別の騎兵に当てた。この時に危機を聞き知ったマシニッサが来援し、ローマ軍は彼らの将軍が指揮官として働いているだけでなく一兵卒としても戦っているのを見て取ると、以前より猛烈に敵に襲いかかって敗走させ、逃げる敵を追撃した。ハンニバルは兵の傍らを駆け回り、踏み止まって戦いを再開するよう訴えたが説得できなかった。したがって彼らに絶望すると彼は、自分と一緒に来ていてまだ温存されていて気落ちもしていなかったイタリア兵へと方向を転じた。彼は隊列を乱して追撃していたローマ軍に襲いかかろうと期待して彼らを戦いへと率いていった。しかし彼らは彼の意図に気付き、素早く他の部隊を追撃から呼び戻して戦列を組み直した。彼らの騎兵は彼らのもとにおらず矢玉は尽きていたので、今や彼らは剣で白兵戦を戦った。続いて大殺戮が起こって多数の負傷者が出て、戦う者たちの叫び声と死にゆく者たちの呻き声が混ざっていたが、これも遂にローマ軍が彼らをも撃退して敗走させるまでのことだった。この戦いの見事な結果は以上のようなものだった。 46 敗走中のハンニバルはヌミディア騎兵が集まってきたのを見て取ると彼らに駆け寄り、自分を見捨てないよう訴えた。彼らからの確約を得ると、戦いの流れを逆転させようとまだ期待していた彼は追撃する兵に向けて彼らを率いていった。彼が最初に遭遇したのはマッシュリイ軍で、新たにマシニッサとハンニバルの間で一騎打ちが起こった。互いに向けて激しく突っ込むとマシニッサはハンニバルの盾に槍を叩き込み、ハンニバルは敵の馬に傷を与えた。振り落とされるとマシニッサは徒歩でハンニバルに飛びかかり、他の兵たちより先に彼の方に突出していた騎兵に一撃食らわしてこれを殺した。同時に彼は象の影から放たれた何発かの投矢を盾で受け止め、そのうちの一本を引き抜いてハンニバルに投げつけた。しかしたまたま近くにいた別の騎兵に当たってこれを殺した。もう一本も引き抜こうとしているところで彼は腕に傷を受け、戦いからつかの間退いた。スキピオはこれを知るとマシニッサを危ぶんで彼の救出を急いだが、マシニッサが傷口を縛って新手の馬に乗って戦いへと戻っていったのを見て取った。双方の兵たちは司令官にこの上ない敬意を抱いていたのでこのように戦いの帰趨は不透明のまま非常に激烈に続いていたが、これもハンニバルが近くの丘のヒスパニア人部隊とケルト人部隊を見つけて彼らの方へと駆け寄り、戦いへと投入するまでのことだった。交戦中の兵はなぜ彼が向かったのかを知らず、彼が逃げたのだと考えた。したがって彼らはハンニバルに付き従わず大慌てで勝手に戦いを放棄し、列を乱して逃げた。この隊は散り散りになり、ローマ軍は戦いは終わったと考えてハンニバルの狙いに気付くことなく列を乱して追撃した。 47 直ちにハンニバルはヒスパニア人部隊とケルト人部隊を伴って丘から戻ってきた。スキピオはローマ軍を追撃から急いで呼び戻し、彼目がけて向かってくる兵よりも遙かに強固な戦列を新たに組ませ、こうすることで難なく彼らを打ち破った。この最後の試みが失敗すると、ハンニバルは完全に絶望し、人目も憚らず逃げた。多くの騎兵が彼を追撃したがその中にはマシニッサもおり、彼は負傷していたにもかかわらず彼を捕虜に取ってスキピオのもとへと届けてやろうといきり立っていた。しかし夜が闇の帳で彼を救い出し、彼は追従できた二〇人の騎兵だけを伴ってトンという名の町に落ち延びた。ここで彼は敗北から逃げてきたブルッティオイ人とヒスパニア人の騎兵を多数見つけた。ヒスパニア兵は気まぐれな蛮族だったために彼らを恐れ、ブルッティオイ人はスキピオの同胞だったためにイタリアに対する罪への放免を確保するために自分を引き渡すのではないかと案じたため、彼は全幅の信頼を置いていた一人の騎兵と共に密かに逃げた。およそ二度の夜と昼を費やして三〇〇〇スタディオンを踏破すると、物資を守るために軍の一部が残されていたハドルメトゥムの港へと彼は到着した。ここで彼は近隣地域と今し方の合戦からの落ち武者から軍を集めて武器と兵器の準備を始めた。 8章 48 今やこの見事な勝利を得たスキピオはローマの将軍の習わし通りの生贄を献げる用意をして敵から分捕ったあまり価値のない戦利品を焼いた。彼は一〇タラントンの金、二五〇〇タラントンの銀、彫刻が施された大量の象牙、それから多くの捕虜の貴族たちを船に乗せ、そして勝利を知らせるためにラエリウスをローマへと送った。彼は残りの戦利品を売り払い、その上がりを兵士たちに分配した。また彼はマシニッサに卓越した勇気への報償を与え、今一度冠を被せた。また、彼は遠征軍を送り出し、さらに諸都市を靡かせた。ここで初めて対決したハンニバルとスキピオの戦いの結果は以上のようなものだった。ローマ軍は二五〇〇人を、マシニッサはさらにそれ以上の兵を失った。敵のうち二五〇〇〇人が殺され、八五〇〇人が捕虜になった。三〇〇人のヒスパニア兵がスキピオに、八〇〇人のヌミディア兵がマシニッサに投降した。 |