38・39巻→ディオドロス『歴史叢書』40巻(断片)

1 マルクス・アントニウス〔マルクス・アントニウス・クレティクス。紀元前1世紀のローマの政治家。クレタ人の海賊と戦ったが、海戦で敗れて和平を結んだ。〕はクレタ人と和平協定を結んで彼らはしばしの間はそれを遵守したが、彼らは自分たちにとって何が最も有利かを検討すべく評議会を招集した。彼らの中でより年長で賢明な人たちはローマに使者を送って彼らに向けられた訴状に対して適切な言葉と請願によって弁明を行うことで元老院と和解するよう勧めた。この目的のために彼らは最も秀でた市民から選び出された三〇人を使者として派遣し、彼らは元老院議員たちの個々の家に私的に滞在し、適切な言葉で彼らの機嫌を取ることで彼らの集まりで最も影響力のある議員たちを味方につけた。元老院へと招き入れられると、彼らは彼らに異議を唱えられていた事柄に対して実に賢明な弁明を行い、彼らの貢献とローマ人の支配に対する彼らの支持をはっきりと述べると彼らは以前の友好と同盟を回復させることを要望した。元老院は彼らの発言を喜んで布告を発し、それによって彼らはクレタ人を彼らが負っていた罪から解放したばかりか、彼らを自国の同盟国にして友人と宣言した。しかしスピンテルとあだ名されたレントゥルス〔プブリウス・コルネリウス・レントゥルス・スピンテル。紀元前57年の執政官。当初はカエサルに好意的だったが後にポンペイウスに鞍替えした。カエサル暗殺後にアントニウスとオクタウィアヌスによって殺された。〕がその布告に拒否権を発動し、クレタ人は去って行った。クレタ人は海賊に加担して追い剥ぎに手を染めていると元老院は多くの機会に聞かされた。したがって彼らはクレタ人は全ての船舶を四つの櫂がついた小舟に至るまでローマに引き渡し、三〇〇人の貴顕の人質を差し出し、ラステネスとパナレス〔いずれもクレタの将軍〕を追い出し、銀四〇〇〇タラントンを共同で支払うべしと布告した。クレタ人は布告されたことを聞くと、自分たちに押しつけられたこれらの指示に関する協議に入った。彼らの中で賢明な人たちは全ての命令に従うべきだと勧めたが、ラステネスと彼の仲間たちはローマに召喚されて自分たちが行ってきた攻撃に対する罰を受けるのを恐れて人々を扇動し、記録のないような時代から享受してきた自由を守るよう訴えた。
1a アンティケイア市民のある人たちはアンティオコス〔一三世〕を彼の敗北〔ティグラネス1世に敗れて王国を奪われたことであろうか。〕のゆえに侮って大衆を唆し、王はその都市から追い場されるべしと提案した。大騒擾が起こったが、王が勝利すると蜂起の指導者たちは恐れてシリアから逃げ出した。キリキアに到着した後に彼らはアンティオコス〔八世〕・グリュポスの息子フィリッポス〔一世〕の息子のフィリッポス〔二世〕を連れ戻そうと決めた。フィリッポスは彼らの提案に賛同し、アラビア人アジゾスのもとへと会談のために赴き、彼はフィリッポスを快く迎え入れた。アジゾスはフィリッポスの頭に冠を被せ、彼を王位に復帰させた。
1b アンティオコスの全ての希望はサンプシケラモス〔エメサ市を支配したアラビア人の王。〕との同盟にかかっていたため、彼は軍を連れて来てくれと彼を呼び寄せた。王たちを殺すことでアジゾスと密かに合意していたサンプシケラモスは軍を連れて来てアンティオコスに手紙を送った。アンティオコスは疑うことなく応じたが、その時になるとサンプシケラモスはアンティオコスを捕らえ、後に彼を殺した。似たような具合でアジゾスはサンプシケラモスとのシリア王国分割の合意に則ってフィリッポスを暗殺しようと試みたが、フィリッポスは陰謀を察知してアンティオケイアへと逃げた。
2 ポンペイウスがシリアのダマスコス近くに滞在していたところ、彼は王位をめぐって争っていたユダヤ人の王アリストブロスとその兄弟のヒュルカノスの訪問を受けた。二〇〇人を超えるユダヤ人の中で最も秀でた人たちは司令官〔ポンペイウス〕と会談して、彼らの祖先はデメトリオスに反乱を起こした時に元老院に使者を送ったことを説明した。返答の中で元老院はユダヤ人への権力を彼らに承認し、王ではなく大祭司の指導下でユダヤ人は自由で自治権を持つべしとした。しかし昨今の支配者たちは父祖伝来の法を廃止して市民たちを不正に隷属させていた。傭兵の大部隊を頼みとしていた彼らは暴力と夥しい流血によって王権を手に入れていた。ポンペイウスはその争議についての決定を後まで先延ばしにしたが、ヒュルカノスとその仲間たちをユダヤ人への無法行為と彼らがローマ人に働いた悪事の件で厳しく叱責した。彼らはより重く厳しい懲戒に値するが、彼らがもし今後は服従するならばローマ人の伝統的な寛容さに則って赦しを与えるつもりだと彼は述べた。
3 我々はユダヤ人に対する戦争を説明しようと思うが、話を進める前にまずこの民族の起源と習俗について説明するのが適切だと思われる。昔に大変な疫病がエジプトを襲ったことがあり、多くの人はこの原因は神々の怒りのせいだとみなした。そこに住んでいた異なった種族の夥しい異邦人が宗教的な典礼と生け贄の奉納では異国風の祭儀をしていたため、エジプト人の祖先が行っていた神々への礼拝の昔の仕方は完全に失われて忘れ去られていた。したがって土着の住民は全ての異邦人が追い出されない限りはこの窮乏から解放されることはないと結論づけた。全ての異邦人は直ちに追い出され、幾人かの述べるところでは彼らの中で最も勇敢で高貴な人たちは何人かの卓越した指導者の下でギリシアや他の土地へと導かれ、最も名高い指導者はダナオスとカドモスだった。しかし大部分の人々はエジプトからそう離れていない地方に下り、そこは今ではユダエアと呼ばれる土地で、当時は人の住んでいない土地だった。
 この植民団の指導者はモーセなる非常に賢明で勇敢な男で、その地方を手に入れた後は他の諸都市の間に今では最も有名な都市であるイェルサレムを建設し、そこに実に巨大で彼らから崇敬されている神殿を建てた。彼は神を崇めるための聖なる祭儀と典礼を設定し、国家の秩序だった統治のための立法を行った。また彼は人々を最も完全な数だとみなされていた一二の部族に分けたが、それというのも一年の全体は一二の月からできていたからだ。彼は神の姿を描かず、それは人間の姿形は神に当てはまらないと彼が考えていたからだ。しかし地上を囲む天のみが神であり、全ての物は天の力の下にあるという。しかし彼はこのように祭儀と生け贄の典礼、そして彼らの習俗の流儀と特質を整えたため、彼らは他の全ての民族とまるっきり異なった民族になった。というのも、彼の民の追放の結果、彼は最も非人間的で交際嫌いな生き方を導入してしまったからだ。また彼は全ての部族を支配統治するのに最も適した最も成熟した人たちを選び出して祭司に任命し、彼らの義務は絶えず神殿で仕えて神への公的な祈りと奉仕に従事することである〔ユダヤ人の中のレビ族は土地を持たない代わりに祭司職、神殿の管理など宗教に関する業務を一手に引き受け、奉納品の十分の一を報酬として受け取った。〕。彼は最も重大な事案の決定のために士師を設け、法と習俗の維持の面倒を見させた。したがって彼らはユダヤ人は王を持つべきではなく、民の指導権は常に祭司に委ねられるべきであり、祭司は賢慮と徳において残りの全ての人に優っていると言っている。彼らは彼を大祭司と呼び、神の心と命令の伝達者にして仲介者とみなしている。全ての公の集まりと他の会議で神の命令を公表していると彼らは言っている。そしてユダヤ人はこれらの事柄には実に従順で、すぐに地面にひれ伏しては神の意志を彼らのために解釈した彼を大祭司として敬慕していたほどである。律法の終わりにはこのような文句が付け加えられている。「これはモーセが神から拝聴し、ユダヤ人に公布したことである」またこの立法者は多くの見事な規則と軍令を下し、その中で彼は若者たちを勇敢且つ忠実になるように、そして全ての窮乏や困難に耐え抜けるよう鍛え上げた。さらに彼は近隣民族と多くの戦争を行って武力で大領土を獲得し、これを民に配当として分配し、残りの人たちよりも大きな分け前を持っていた司祭を除いて普く誰もが分け合った。かくして祭司たちはより多くの歳入を得ていたため、妨げられることなく神の公的な礼拝に絶えず従事した。配当地を買い漁る者の貪欲さのおかげで他の者たちが貧しくなって圧迫を受け、ひいては民族が人的資源の減少を被ることのないようにするため、配当地を売ることは法律で禁じられた。
 また彼は住民たちに子供の養育にあっては慎重であり、ごく乏しい費用で育てるように命じた。この方策によってユダヤ民族は常に人口の非常に大い民でい続けられた。結婚と葬儀について彼は他の全ての民とは非常に異なった習俗を定めた。しかし後に勃興した諸帝国の下で、とりわけペルシア人支配期とペルシア人を打倒したマケドニア人の時代、他の諸民族との混交によってユダヤ人の伝統的な習俗の多くは改められ……。以上はアブデラのヘカタイオスがユダヤ人について述べたことである。
4 以下はポンペイウスが据えたアジアでの功業を記録した碑文の写しである。
 グナエウスの息子、インペラトールたるポンペイウス・マグヌスは世界の沿岸と大洋の中の全ての島々を海賊の攻撃から解放した。彼はアリオバルザネスの王国、ガラティアとそこから向こう側の諸地域と諸州、アジアとビテュニアを包囲から救った。彼はパフラゴニア、ポントス、アルメニアそしてアカイア、またイベリア、コルキス、メソポタミア、ソフェネとゴルデュエネを保護した。彼はメディア人の王ダレイオス、イベリア人の王アルトレス、ユダヤ人の王アリストブロス、ナバテア系アラビア人の王アレタス、またキリキアに隣接するシリア、ユダイア、アラビア、キュレナイカ州、アカイオイ族〔アカイオイ族を含む以下の四部族はコルキスに住む諸部族〕、イオジュゴイ族、ソアノイ族とヘニオコイ族、そしてコルキスとマイオティス湖の間の沿岸に住むその他の諸部族、数にして九人いたそれらの部族の王、ポントス海と紅海の間に住む全ての民族もろとも服属させた。彼は帝国の境界を世界の境界まで広げた。彼はローマ人の歳入を維持し、ある場合には増やした。彼は神々の像と他の画像、敵の他の全ての財宝を運び去り、黄金一二〇六〇タラントンと銀三〇七タラントンを女神〔ミネルウァ〕に奉納した。
5 ローマでは、大借金を抱えていたカティリーナ〔ルキウス・セルギウス・カティリーナ。スラ派に与し、紀元前68年には法務官を務めたが、自らも抱えていた借金帳消しを訴えて挑んだ執政官選で何度も落選した。〕なる者と、スラとあだ名されたレントゥルスが以下のようにして群衆を集め、元老院に対する蜂起を計画した。ある祝祭が開かれることになっていて、その中では高名な庇護者を持っていた人たちが彼らの庇護者に贈りものをする習わしになっていて、このために庇護者たちの家は夜通し開け放たれていた。したがって彼らはこの機会に陰謀の犠牲者の家々に襲撃者を押し入らせようと決めた。その襲撃者たちは贈り物を持ってきたと称しつつ剣を隠し持って疑われることなく家に入り、彼らの少数がそれぞれの家に集まると、同時に元老院のほぼ全員を殺戮する手はずになっていた。陰謀はこのように用心深く企まれていたにもかかわらず、元老院は珍しい偶然によってそれから救われた。というのも四〇〇人を超す人たちが殺害を実行する役になっており、彼らの中の一人がたまたまある少女に恋をしたが、彼女は彼を袖にした。そして彼は、数日もすれば俺はお前の生殺与奪を握るようになるぞと彼女に言った。彼女はこの言葉に驚き、なぜ彼がこんな脅しをしたのか見当がつかなかった。しかしこの若者がこの言い分を続けたため、一緒にくつろいで酒を飲んでいる時に彼女は付き合いを楽しんでいるふりをしつつ、彼の言葉はどういう意味なのかと説明してくれるよう頼んだ。彼は彼女にぞっこんで彼女を喜ばせたかったため、真相を一切合切話した。当面は彼女は聞いた話を喜んでいるふりをしつつ黙っていた。しかし翌日に彼女は執政官キケロの妻と会い、どんなことが起こったのかとその若者が話したことを私的に打ち明けた。こうして陰謀が暴露されると、キケロは一面では差し迫った脅威のために、もう一面では立派な信念のために彼女たちから陰謀の一切合切の詳細を知った。
5a カティリーナとあだ名されたルキウス・セルギウスは大借金を持っていたため、蜂起を計画した。執政官のマルクス・キケロは予想される厄介事について演説した。カティリーナは会議へと召喚され、キケロは彼をその面前で告発した。しかしカティリーナは裁判抜きで自発的な亡命をすることによって罪を認めるつもりは決してないと述べた。キケロは元老院議員たちにカティリーナはこの都市から追放されるべきだと思うかどうか尋ねた。面前のカティリーナに有罪判決を下すことに気が進まなかったことから彼らの大部分が沈黙を守っていると、元老院の真意を明らかにするためにキケロはもう一つの策を試してみることにした。彼は、元老院議員たちはクイントゥス・カトゥルスにローマを退去するよう命じるつもりかどうかという第二の問いかけをした。全会一致で彼ら全員が、自分たちは同意しないしそのような提議では不幸になってしまうと叫んだ。キケロはカティリーナに話を戻し、もし彼らが誰かを追放するのが適切ではないと考えているのならば元老院議員たちはどれだけ声高に反対するのかを指摘した〔カティリーナ追放に反対ならば声高に反対するはずだが、そうならなかった、元老院議員たちはカティリーナ追放にはやぶさかではないというわけである。〕。カティリーナが追放されるべきであるということに彼らが同意したことは彼らの以前の沈黙から明らかだったので、カティリーナはこの件について内密に検討するつもりだと言い、会議から退出した。




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