26巻→ディオドロス『歴史叢書』27巻(断片)→28巻

1 スパルタの僭主ナビスは、先王リュクルゴスの息子でこの時はまだほんの少年だったペロプスを殺した。これは、若年にさしかかればペロプスがその高貴な生まれのおかげで大胆になり、いつの日か彼の国に自由を取り戻させるはずだと用心した上での処置だった。ナビスは最も教養のあるラケダイモン人たちを自ら選んで殺し、方々から彼の体制を守るための一番の基礎となる特徴を持った雇い人たちを集めた。その結果、神殿略奪者、泥棒、海賊、そして死刑判決を受けた人たちが方々からスパルタへと流入した。ナビスが僭主になったのは不敬虔な行いのおかげだったため、彼はそういった人たちによってのみ最も安全に身を守られると考えていた。
 スパルタの僭主ナビスは自国の品位を落とすことで自らの地位を高められると信じて市民に対して数多く様々な形の刑罰を考案した。蓋し、なるほど権力を持つようになるとならず者は幸運を死すべき者の分を越えて行使したくなるものなのだ。
2 彼は最高神祇官としての宗教的な義務のおかげでローマの近郊から離れられなくなった(1)
2a ディオドロスの説明によれば、似たようにしてスキピオはシケリアの貴族にリビュア遠征で彼に加わるか彼らの馬と奴隷を彼の兵に差し出すかという選択肢を提示した。
3 クレタ人は七隻の艦隊で海賊行為に手を染め始め、多くの船を略奪した。これは海上交易に従事していた人たちを落胆させるような結果を生み、そこでロドス人は彼らにこの無法行為のつけを払わせようと考えてクレタ人に宣戦した。
4 スキピオがロクリの統治者に任命したプレミニウスは、不信心な男だったためにペルセポネの宝物庫を破壊してそこの財物を略奪して持ち去った(2)。ロクリ人はこれにいたく激怒し、ローマ人への抗議の宣誓の声明を発した。さらに二人の軍団副官はその非難に衝撃を受けた。しかし彼らは起こったことへの憤慨に動かされて行動したわけではなく、逆に略奪の分け前を受け取り損ねたためにプレミニウスを告発した。神意は速やかに一人残らず彼らにその悪事に相応の罰を下した。なるほどペルセフォネのこの神殿はイタリア全土で最も名高い神殿であり、未だかつてその地を蹂躙されたことがなかった。例えば、ピュロスがシケリアからロクリへと軍を連れてきて兵士への給料支払いの必要に直面し、資金不足でそこの宝物に手をかけるよう追いつめられた時のこと、伝えられるところでは、彼が再び海に出ようとした時に嵐が起こって彼と彼の全艦隊が難破し、恐怖と悲嘆に打ちのめされたピュロスはその女神を宥めて宝物を返還するまで出発を遅らせたという。
 さて話を戻すが、軍団副官たちは義憤に駆られたふりをして今やロクリ人の擁護者として立ち上がり、プレミニウスを謗り始めて裁判に引っ張り出してやるぞと脅した。たちまち言い争いが起こって彼らはついに殴り合いを始め、軍団副官たちは彼を地面に叩きつけて彼の耳と鼻を噛み切って彼の唇を引き裂いた。プレミニウスは軍団副官たちを逮捕して過酷な拷問にかけ、放り出した。神殿の略奪がローマの元老院の神への恐れを強く掻き立て、さらにスキピオを貶める好機を窺っていた彼の政敵たちはプレミニウスがスキピオの要望に従って動いたのだと告発した。元老院は、もしその神殿冒涜がスキピオの同意でもって行われたと見れば速やかに彼をローマへと戻らせ、もしそうでなければ彼がリビュアに軍を輸送するのを許すべしという命令を携えさせて一人の造営官と二人の護民官を委員として送った。委員たちがまだ途上にあった時、スキピオはプレミニウスを召還して拘束し、軍の訓練の陣頭指揮を執った。護民官たちはこれに驚いてスキピオを賞賛した。プレミニウスはというと、ローマへと連れ戻されて元老院によって監視下に置かれ、獄死した。元老院は彼の財産を没収し、神殿からの盗品の不足分(3)を国庫から支出して女神に奉献した。またロクリ人は解放され、ペルシス(4)のものである財物を持つ兵はもしそれを返還しないのならば死罪に処されるべしという布告も出された。
 プレミニウスに関するこれらの処置の後、諸事項はロクリ人に対する好意の外見を取って票決され、奉納品を盗んだ人たちの大部分と軍団副官とプレミニウスに降りかかった報いを今になって知った人たちは迷信じみた恐怖の虜となった。他の死すべき者たちから罪をうまく隠し通していたかかわらず、悪事を自覚して秘密にしていた人が受けた罰は以上のようなものとなったわけだ。かくして今やこの人たちは精神の苦しみのために神々を宥めようとして略奪品を手放した。
5 適切な状況下でつかれた嘘は時には立派な利益を生み出す(5)
6 シュファクスと他の人たちが鎖に繋がれて前に連れてこられると、その人の以前の繁栄と王らしい様に思いをいたしたスキピオはその光景を見るやすぐに涙があふれてきた。それから間もなくして成功のまっただ中にあってすら穏健に振る舞おうとかねがね決心していた彼はシュファクスの拘束を解いて彼を天幕に帰し、従者を持ち続けることを許した。シュファクスは未だ虜囚の身で、自由を与えられた監視下にあったにもかかわらず、スキピオは彼を親切に扱ってしばしば食事の席に招待した。

 スキピオはシュファクス王を捕虜にすると、彼の拘束を解いて親切に扱った(6)。彼の感じているところでは、戦争での私的な不和は勝利の時点までは続いて然るべきだが、捕虜になる廻りあわせが王位にある人に降りかかれば、人間でしかない自分は不穏当なことをすべきではない、とのことである。それというのも女神ネメシスは人間の人生を見張り続け、死を免れぬ者としての分を弁えない厚かましい人に人間固有の弱さをすぐに思い起こさせるとされているからだ。なればこそスキピオが敵のうちに吹き込んだ恐怖とおののきを見つつ、彼自身の心が不運な人への憐れみに負けた時のこの男を称賛しないものなどいようか? 事実、戦いで敵から恐れられる者が敗者に穏やかに振る舞う傾向があるのは概して真実である。そういうわけでこの際にスキピオはすぐにシュファクスから思いやりのある扱いへの感謝を得た。
7 最初はマシニッサの、次いでシュファクスの妻となり、最後は捕虜となった結果としてマシニッサと再び結ばれたソフォンバは見目麗しく、多種多様な感情を持った女で、男たちを彼女への奉仕へと縛り付ける力に恵まれていた。カルタゴ人の主義主張の支持者だった彼女は毎日夫に非常にしつこくローマへの反逆を説いて懇願したが、それはなるほど彼女が自分の国に深く献身の念を持っていたからだ。さてシュファクスはこれを知ってこの女についてスキピオに報告し、監視下に置くよう求めた。これはラエナスの忠告とも符合したため、スキピオは自分の前に彼女を連れてくるよう命じ、マシニッサが仲裁をしようとするとこれを厳しく咎めた。それから不安に駆られたマシニッサは彼女をひったくるべく部下を送ったが、彼女の天幕へと自ら赴いて死に至る薬を渡し、それを無理矢理飲ませた。
8 しくじった人への哀れみによってスキピオは以後マシニッサとの同盟を確固たるものとした。
9 ハンニバルは同盟者たちを呼び寄せると、自分は今リビュアに渡る必要があると述べ、望む者には同行する許可を出した。一部の人たちはハンニバルと一緒に渡航するのを選んだが、イタリアに留まることにした者を彼は軍で取り囲み、まず兵士たちに奴隷にしたい者を取り分けさせ、それからおよそ二〇〇〇〇人にもなる残りの者を三〇〇〇頭の馬と数え切れないほどの荷駄運搬獣もろとも殺戮した。
10 シュファクスの敗北後にマシニッサについた四〇〇〇騎の騎兵は今やハンニバルを見捨てた。怒りのあまりハンニバルは彼らを軍で包囲して全員を射殺し、彼らの馬を自分の兵に分配した。
11 カルタゴが甚だしい食糧不足に陥ると、不満を抱き、和平協定の破棄を望んだ市民たちは人々が船を攻撃して物資輸送船を港の中に運ぶよう煽りたてた(7)。〔カルタゴの〕元老院は合意への違反を禁じたが誰も耳を貸さず、「腹には耳がないぞ」と言った。

 悪事は正当であるかのような見かけを持つものだ。
12 スキピオはカルタゴ人に使者を送り、暴徒は皆で彼らを殺した。しかしより賢明だった評議会の面々が彼らを救出して三段櫂船の護送のもとで送り出した。しかしカルタゴの大衆指導者たちは提督に三段櫂船の護送艦隊が帰った後に海で使者を襲って彼らを皆殺しにするよう訴えた。攻撃がなされたが、使節団は岸へと逃げのび、無事スキピオのところまでたどり着いた。神々は強情な咎人に速やかに自らの力を示した。というのもローマに送られたカルタゴの使節団が帰路に嵐に遭ってローマ軍が停泊していたまさにその場所へと流され、スキピオの前に連れて来させられた時、彼らは誓いへの違反者への復讐を叫ぶ凄まじい抗議を受けた。しかしスキピオは、自分たちはカルタゴ人を非難するまさにその罪を犯してはならないと明言した。したがってその人たちは解放され、ローマ人の慈悲深さに驚嘆しながら無事カルタゴへの道を進んだ。

 カルタゴ人は以前にローマ人に対して悪事を働いたために或る折りに嵐によってスキピオの手に引っ張られていった。誓いへの違反者への復讐を叫ぶ抗議が大いになされたものの、スキピオは、自分たちはカルタゴ人を非難するまさにその罪を犯してはならないと明言した。
13 蓋し、貴い行為の道へと人を説得することは全てのことのうちで最も困難なことである一方、人を喜ばせようと意図された言葉はそういった助言を容れる人を破滅へと導くことすらあるにもかかわらず、驚くべき力でもって利益の外観を呈するものである(8)
14 不運で哀れな人に向けた怒りに負けて軍事力だけで世界を征服すること、そして繁栄の最中にある我々のうちに他の人を咎めてもよいような心当たりがあったとしても、驕り高ぶる者に対する苦々しい憎悪を養うことは尚更栄誉あることではない。栄光は、勝者になった際に穏健に幸運に耐える時にのみ、成功を勝ち得る人の真の取り分となる。そういった人たちのことが話されると、月桂樹の冠に相応しいと誰もが述べるものだが、嫉妬深い犬どもは自分たちが共通に死すべき者であることを忘れては彼らの成功の栄光を汚すものだ。足下の嘆願者を殺すことは大それたことではないし、破れた敵の命を滅ぼすことは立派な偉業ではない。人間の全てのよろずのことの儚さを忘れて全ての不運な人たちの共通の権利である避難先を破壊する時に悪名を被るのは故なきことではない。
15 親切な行動は復讐以上に、死んだ敵への穏和な扱いは野蛮な残虐行為以上に役立つものである。

 運命の潮流に恵まれれば恵まれるほど、人間の生を監視する女神ネメシスに用心しなければならない。

 あたかも目的を持っているかのように運命は絶えざる変化の下に全てのものを留めているため、人間の事柄には安定したものも、良いものも悪いものも何も残らない。したがってそのおかげで我々は高慢から離れることになり、他人の不幸によって我々自身の命を確保するための利益を得ることになる。というのも死者に穏和且つ最も豪勢にしてやる人は人生の浮き沈みにあって彼自身が出会う顧慮に、それが何であろうとも値するからだ。一般的に不朽の賞賛は影響を受けていない人から向けられるもので、実際に恩恵を受けた人は利益を得られる限りで感謝を感じて愛顧するものである。実際、宿敵ですら慈悲を見いだせば親切な行為によって変えられ、自らの失敗を見ればたちまち友人となる。
16 物分かりの良い人は、友情は不死なるもので敵意は死すべきものであることを理解するはずである。したがって彼の友人は多数にのぼる一方で彼を足ざまに扱う者のほうが少なくなるということはこの上なく当然の結果であろう。

 権威を行使したいと思う者ならば、寛容と穏健さで自分たちの仲間を完全に上回るべきであり、このこと以外の面での間への優越はあまり重要的なことではない。というのも征服によって生じる恐怖は征服者を憎悪の的とし、敗者に対する顧慮は善意の源で、帝国の安定した保証になるはずだからだ。このことから将来の繁栄についての不安が大きければ大きいほど我々は自発的に服従した者に対して過酷で癒し難い行動をしないように用心すべきだということになる。というのも、たとえ縁のある人でなかろうと誰しも圧倒的な不運に屈服した人には慈悲を感じ、たとえ同盟者であろうとも幸運を横柄なやり方で使う者を憎むものであるからだ。蓋し、我々各々は何であれ物事をあたかも自分にされたことであるかのように考えるものであり、不運な人と悲しみを共にし、成功した者の繁栄を妬むものだ。
17 この上なく名高い都市が無慈悲な略奪を受ける時はいつでもそこの人たちについての通念が世界中に一層たやすく広がるものであり、それは人々が膝を屈した敵に残忍に振舞う者を憎むことに加わることを立派な行いとして賞賛することは決してないためである。

 神々がいつも与えてくれる幸運を節度を持ってほどほど行使しなければ多くの悪い結果を生み出すことになる。

 人が然るべき節度で幸運を生かさなければ、どんな機会であれ十分に悪くなってしまう。されば気をつけよ、そして我々のせいで自棄になった人々に対して力ずくで行動して彼らが自棄になって勇気を示すことのないようにと心得よ。道が空けば方向転換して走るような最も臆病な獣ですら心配を感じた時には信じられないような戦いぶりを示すものである。似たようにカルタゴ人も身の安全の希望を持ち続けていた限りでは譲歩を続けたが、ひとたび自暴自棄へと追いつめられるとたちまち戦いにあって起こりうる危険に踏みとどまり立ち向かった。逃げても戦っても死ぬことになっていれば、栄誉ある死は死と不名誉より好ましいものに見えよう。

 人生は予期せぬことで満ちている。したがって不運な時には危険を冒し、大きな危機を犯そうとも冒険を目指すべきである。しかし運の流れが滑らかに流れる時に危険に身を曝すのは良いことではない。

 外国人を支配下に置いた者は何人たりとも彼の軍の指揮権を自発的に他人に委ねてはならない。
18 蓋し、不運と悪事との間には甚だしい違いがあり、我々は賢明な相談相手たるに相応しい適当な仕方でそれぞれを取り扱うべきである。そういうわけで、例えば、失敗をしはしたがそう大ききな悪事を働いたわけではない人が全ての不運な人のために差し伸べられる哀れみを避難所とするのは当然である。他方、重い罪科を犯した者と大事をしでかした者が勝利すれば、彼らが自らに招いたいわゆる「名状能わざる」野蛮はそういった人間らしい感情の範囲を完全に越えさせる。他者に残忍さを示した者が代わって失敗をしてくずおれた時に哀れみを受けること、あるいは権勢にある時に人間の持つ慈悲を等閑して振る舞う者が他者の寛容に逃げ場を見いだすというのは不可能なことである。人が他の人のために定めた各々の法の下に己自身を置くことほど正義に適ったことはない。

 全人民の名のもとに共通の敵からの復讐を身に浴びる者が公共の恩人と考えられることはまったく明白である。それはちょうどより危険な獣を滅ぼす者が全ての人の福利に貢献するために称賛を受けるのと同じであり、今カルタゴ人の野蛮な残忍さと人間の獣じみた素質を抑制した者が最高の名声を得るであろうことはあまねく同意されることだろう。

 勝利の希望がよく見えれば誰もが勇敢に危険に立ち向かうが、予め自分が負けることを知っている者は逃亡によってのみ安全を得る。




(1)「これはプブリウス・リキニウス・クラッススのことを指し、彼はスキピオに軍指揮権の自由裁量を与えるために紀元前二〇五年にスキピオの同僚執政官に選出された。リウィウス(28.38.12)は、最高神祇官はイタリアに縛り付けられていたとしか言っていないが、実際のクラッススはブルッティイの一地方を所領として割り当てられていた」(N)。
(2)紀元前二〇五年の法務官代理官(legatus pro praetore)クイントゥス・プレミニウスはポエニ戦争中にスキピオ・アフリカヌスによってロクリ(ギリシアのではなくイタリアの)での指揮権を任された。
(3)没収したプレミニウスの財産を弁償に当てても足りない分。
(4)ペルセポネの真の名前(N)。
(5)これはシュファクスがリビュアでローマの助力を要請したというスキピオが将兵についた嘘のことを指す(N)。
(6)「明らかにこの文は以下の抜粋者による断片の要約である。残りの抜粋分がギャップなく続くようにするための者だろう」(N)。
(7)「この和平協定とは紀元前203年秋にスキピオとの間で締結されたもので、和平がローマで調印されていた間にハンニバルがマゴを連れてアフリカに戻ってきた。カルタゴの和平派は政権を追われ、チュニス湾に停泊していたローマの輸送船への攻撃が敵対の開始の合図となった」(N)。
(8)「これと以下の抜粋はローマの元老院での様々な派閥の演説から、ことによるとカルタゴの使節団の演説から取り出されたものであろう。アテナイ人捕虜に関する紀元前413年のシュラクサイでの討論(13巻20章)も全体的に参照せよ」(N)。




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