23巻→ディオドロス『歴史叢書』24巻(断片)→25巻

1 カルタゴ人はセリヌス市を徹底的に破壊すると、リリュバイオンへと住民を連行した。ローマ人は軍船二四〇隻と快速船六〇隻、そしてあらゆる型の多数の輸送船の艦隊でもってパノルモスへと、さらにそこからリリュバイオンへと航行してこれを包囲した。彼らは陸ではその都市を海から海まで塹壕で封鎖し、カタパルト、破城槌、覆いのある小屋、塔を建造した。彼らは港の入り口を石を積んだ一五隻の快速船で封鎖した。ローマ軍は一一万人を数えた一方で籠城軍は歩兵七〇〇〇人と騎兵七〇〇騎であった。包囲戦の過程でカルタゴから四〇〇〇人の増援と食料の蓄えが到着し、アドヘルバルと彼の兵たちは再び勇気を得た。入り口に出現した軍を見たローマ軍は再び石と浅橋で港の入り口を封鎖し、水路を大きな木材と碇で塞いだ。しかし強風が吹き、海が大荒れになって全てを打ち壊した。ローマ軍は投石機を作ったが、カルタゴ軍は内側にもう一つ城壁を建てた。そこでローマ軍は六〇ペキュスの幅と四〇ペキュスの深さの堀を埋めた。海沿いの城壁で戦いを交えるにあたって彼らは市の前に伏兵を置き、防衛軍が海側での戦いに向かうと、この伏撃部隊は梯子をかけて登って最初の城壁を占領した。カルタゴの将軍はこの知らせを受けると彼らに攻撃をかけ、その過半数を一網打尽にして殺し、その他の者を敗走に追い込んだ。強い突風に助けられて彼らは塔、投石塔、破城槌、覆い付きの小屋などローマ軍の攻城兵器の全てに火を放った。しかし騎兵部隊が閉鎖された場所では役に立たないのを見て取るとカルタゴ軍は彼らをドレパナへと派遣した。そこで彼らはカルタゴ軍を大いに助けた。ローマ軍は兵器の消失並びに物資の欠乏、そして疫病で二進も三進もいかなくなったわけだが、それというのも彼らとその同盟軍は肉だけを食べていたために僅かな日数のうちに病を得て病死したからだ。このために彼らは包囲を放棄する準備すらしたが、シュラクサイの王ヒエロンが豊富な穀物を送り、彼らの包囲の遂行の勇気は息を吹き返した。
 新たな執政官の就任に際してローマ人はアッピウスの息子で執政官のクラウディウス(1)に指揮権を与えた。軍の指揮権を得ると彼は前任者がやったように港を再び封鎖して海にあらゆる欠片を投げ込んだ。しかしクラウディウスは自信満々で数にして二一〇隻の最良の艦隊を整備し、カルタゴ軍と一戦交えるべくドレパナへと向かった。彼は一七〇隻の船と二〇〇〇〇人の兵を失う敗北を喫した(2)。この時代でこれよりも栄光ある勝利――私が意味したいのはカルタゴ人だけでなく他の人たちとも比べようのない勝利――が起こった海戦を見つけるのは容易ではないだろう。しかし驚くべきことは、カルタゴ軍はかくも大きな戦いに臨んだにもかかわらず……一〇隻で……一人の死者も出さずにそれどころか負傷者すら出さなかったことである。この後、彼らは三段櫂船船長ハンニバルを三〇隻の艦隊と共にパノルモスへと送り、ローマ人の穀物の蓄えを略奪してドレパナへと運び去った。それから彼らはドレパナから何であれ有用な他の物資を持ってリリュバイオンへと向かい、ありとあらゆる豊富な物品を籠城中の人々に提供した。将軍カルタロも七〇隻の軍船と、これと同数の物資輸送船を連れてカルタゴから到着した。彼らもローマ軍に向けて出撃すると、数隻の船を沈めて停泊していた五隻を岸へと曳行するという成功を得た。そこでローマ艦隊がシュラクサイを出航したと聞くと、彼は同僚の指揮官たちにこれを明かして艦隊の中の最良もの、一二〇隻の艦隊を連れて海に漕ぎ出した。ゲラの沖合で二つの艦隊がそれぞれ合図を上げると、ローマ艦隊は敗走してフィンティアスに入港し、そこで彼らは物資を乗せた船と艦隊の残りを陸に避難させた。
 カルタゴ艦隊が来ると激しい戦いが起こった(3)。最終的にカルタゴ艦隊は五〇隻の大型貨物船を無力化し、一七人の戦闘船を沈め、一三隻の他の船を攻撃して使用不可にした。その後、カルタゴ艦隊はハリュコス川に至ると、そこで負傷者を休ませた。執政官ユニウス(4)はこれらの出来事をつゆ知らずにメッサナから三六隻の軍船とかなりの数の輸送船を連れて出航した。しかしパキュノス岬を回ってフィンティアス近くに碇を降ろすと、彼は事の次第を知って驚いた。その後、カルタゴ軍が全艦隊でもって彼らに向かって前進してくると、執政官は恐怖して役に立たない一三隻の船を焼き払い、ヒエロンが匿ってくれるだろうと考えてシュラクサイに戻ろうとした。しかしカマリナ沖で追いつかれると彼は陸の岩がちで浅瀬になっていた場所に逃げ込んだ。風が勢いを増すと、カルタゴ艦隊はパキュノス岬を回って比較的穏やかな地点に碇を降ろし、他方で大変な危機に陥っていたローマ軍は全ての物資輸送船並びに軍船を失い、このために後者の一五〇隻のうち二隻だけが助かってその大部分は壊滅した。ユニウスは二隻の軍船と生き残りの兵を連れてリリュバイオンで野営していた陸軍のもとを目指し、夜に出撃してエリュクスを獲得した。また彼は今日はアケルムと呼ばれているアイギタロスを要塞化して八〇〇人の兵を守備隊として残した。しかしカルタロはエリュクスとその近郊がすでに占領されたことを知ると、夜に海路で陸軍を運び出し、アイギタロスの守備隊に攻撃をかけてその要塞を手中に収めた。この成功にあたって彼は一部の敵を殺し、他の者はエリュクスに逃げ込むまでに追いつめた。三〇〇〇人の兵がその砦を守っていた(5)。最初の海戦で三五〇〇人のローマ兵が失われ、捕虜の数はそれに劣らなかった。
2 カルタゴ人は攻城兵器を焼き払うべく、金儲けに最も熱心で最も果敢な兵を全員でおよそ三〇〇人選抜したわけであるが、それというのもこれらの資質こそ彼らがあらゆる危機を軽んじる最も強い動機だったからだ。概して攻撃と城壁への強襲で死ぬのが最も勇敢な人であり、彼らが援軍の希望が乏しい危機へと真っ逆様に向かうということでは一致していたからだ。
3 シケリアに到着したクラウディウスはリリュバイオンの軍の指揮権を引き継いで集会を召集すると、両執政官は戦争指揮がいい加減で、勝手気ままに贅沢な暮らしをしてきた酔っぱらいであり、全体として彼ら兵士は籠城軍よりもむしろ包囲の犠牲者だと非難して彼に軍を引き渡したばかりの両執政官を手厳しく責めた。彼は元から激しやすく落ち着きのない気質だったため、しばしば事の指揮は狂気の瀬戸際に近づいた。まず彼は似たように海の突堤と障害物を再構築することで自分が非難した指揮上の過ちを繰り返した。しかし彼の無分別は経験から学ぶことができない誤りにおいて彼らのそれを上回り、最初の人が試みては失敗していた誤りよりも大きかった。彼は生来規律に厳しい人物であり、ローマ市民であった兵士たちに伝統的な罰を情け容赦なく適用し、杖で同盟兵を殴りつけた。概して彼の家柄と一族の声望の卓越は、誰も彼も馬鹿にして見下すような人間にするまでに彼を駄目にしてしまったのであった。
4 裏をかかれたのに気付くと、戦いの危険よりも座礁の恐怖を軽く見たために彼(6)は岸へと逃げた。
5 将軍になる前ですらハミルカルの精神の高貴さは顕著であり、指揮権を引き継ぐと彼は栄光への熱意と危険への軽蔑によって彼の国での自らの価値を見せつけた。
 果敢さと武器の扱いで全ての同輩の市民を上回っていたため、彼は群を抜いた知者として名高く、現に彼は
  良き君主であり勇敢な戦士(7)
であった。
6 ロンゴンの近くにはカタナに属するイタリオンと呼ばれる砦があった。カルタゴ人バルカはこれを攻撃すると……
7 彼は誰にも計画を明かさなかったが、それというのもこういった計略が友人に伝えられれば、投降者を通して敵に知られ、大きな危険の予想から兵士たちを臆病にすることになるだろうという見解を彼が持っていたからだ。
 将軍たちの計画と策略が友人に伝えられたために投降者を通して敵に知られると、それは兵士を大きな危険の予想で一杯にして臆病にしてしまう。
8 夜に航行して軍を上陸させた後、バルカは三〇スタディオンの距離にあるエリュクスへの登り道へと先導した。彼は市を占領して……の全員を殺し……。彼は生き残りをドレパナへと移動させた。
9 どんな機会と試みであれ良き規律は良き結果を生み出す。

 ハミルカルが兵士たちに略奪をしないよう命じていたにもかかわらずウォドストル(8)は従わず、その結果として彼は多くの兵を失った。かくしてあらゆる機会で良き規律は良き結果をもたらすことになるということがまさに今真実となり、歩兵部隊がすでに成し遂げられていた大きな成功をこれだけで台無しにして完全な破滅の危機へと陥ったにもかかわらず、そして騎兵部隊は数ではせいぜい二〇〇騎しかいなかったにもかかわらず、無事にやってきただけでなく他の部隊にも安全を提供した。
 ハミルカルは死者の埋葬の手はずを整えるために手紙をエリュクスへと送った。執政官フンダニウス(9)は使者たちに対し、彼らが分別のある者ならば使者を取り戻すだけでなく生者を取り戻すための休戦を求めよと命じた。この横柄な返答を寄越した直後に執政官は酷い被害を受けたため、彼の傲慢さが神々からの然るべき報復に遭ったことが多くの人に露わになった。
 フンダニウスが死者の埋葬の手はずを整えたいという使者を送った時、バルカの返答は以前になされたものとは非常に異なったものであった。それというのも自分は生者と戦争をしているが、死者についての協定は結んだと述べて埋葬を許した。
10 ハンノ(10)は大きな事業を企てる人物で、名声を得ようと逸っていたため、無為な軍を自分の手中に完全に収めると、この遠征によって軍を鍛えようと望んだ一方で敵国から〔の資源で〕この軍を維持したため、市を多額の出費から解放し、同時に栄光と祖国の優位を増すであろう多くのことを成し遂げた。
 ハンノがヘカトンピュロスを降伏させた時、その市の長老たちは嘆願の証であるオリーブの枝を持って彼に近づき、自分たちを人道的に扱ってくれるよう求めた。将軍は良き名声を得ようと思っていたために親切で報いようと望み、三〇〇〇人の人質を取ったが市と土地には手を付けず、その結果、感謝した人たちから冠とその他の栄誉を受け取った。そして住民から豪勢に真心を込めてもてなされた彼の兵たちは宴で彼らの悦楽のために提供された全ての物を豊富に享受した。
11 執政官のルタティウス(11)は三〇〇隻の軍船と七〇〇隻の輸送船、全部で一〇〇〇隻の船を連れてシケリアへと航行してエリュクス人の交易所に碇を下ろした。同様にハンノ自身も輸送船を伴った二五〇隻の軍船を出発させると、ヒエラ島(12)にやってきた。それから彼がエリュクスへと向かうと、ローマ艦隊が彼と戦うべくやってきて戦いが起こり、両軍は熱心に競った。この戦いでカルタゴ軍は一七〇隻の船を、そのうち二〇隻は乗っていた者全員と一緒に失い、ローマ軍は八〇隻を失い、うち三〇隻は完全に、五〇隻は部分的に破壊され、一方でカルタゴ軍の捕虜はフィリノスの説明によれば六〇〇〇人だが、他の或る人たちによれば四四〇〇人であった。残りの船は順風に恵まれてカルタゴへと逃げ帰った(13)
 両軍の将軍たちでさえ個人的な偉業によって見事な働きをし、危機の真っ直中へと飛び込むほどの勇気の高みに至った。ここで偶然の驚くべき事故が最も勇敢な男たちに降り懸かった。それというのも彼らの船が沈んだ時に勇気で敵を遙かに凌いでいた者たちが捕らえられたが、それは彼らが勇敢さが不足していたからではなく、必要性の抗し得ない力に圧倒されたからであった。船が沈み、足を奪われたことで身柄が海によって敵の手へと陥った時に勇気が何の役に立とうか?
12 その若者たちの母親は夫(14)の死に際して落ち込み、彼が見殺しにされたと信じていた彼女は自分の息子たちに捕虜を虐待させた。したがって彼らは非常に狭い部屋に閉じ込められ、場所の隙間がなかったためにとぐろを巻いた蛇のように体を丸めて過ごさざるを得なくなった。その後に五日間食を断たれると、ボドストルは絶望と欠乏から死んだ。しかしハミルカル(15)は類まれな精神の持ち主だったため、絶望的ではあったもののこれに耐えて希望を持ち続けた。しかし彼は繰り返しこの女に弁解して涙ながらに自分が惜しみなく彼女の夫の世話をしたことを説明したにもかかわらず、彼女は優しい感情や人道への顧慮から遙かに遠ざかっていたため、五日間彼を死体と一緒に閉じこめ、そして彼女は僅かな食料を許したが、彼女の唯一の狙いはこれによって難破した状態の船に耐えられるようにすることだった。最終的に彼が嘆願によって慈悲を得ることを絶望すると、泣き叫んでゼウス・クセニオスとこの人たちの出来事を見ている神々が親切への然るべき報いの代わりに人間が耐えられないような罰を自分が受けていることの証人になるよう呼びかけた。神の誰かが彼を哀れんだか、もしくは変化が予期せぬ助けを彼に与えたかしたためになおも彼は死ななかった。それというのも彼が死体からの悪臭と全般的な虐待の結果で死にかけていた時、家内奴隷の数人かが或る人たちに事の次第を詳しく話した。彼らは憤慨して裁判官たちにそれを報告した。いずれにせよ暴露されたその残虐行為は衝撃的で、その行政官たちはアティリウス家の人たちを召還し、ローマに不面目をもたらしたとしてすぐさま彼らを死刑に値する罪状で法廷へと引き立てた。そして彼らはもし彼らが捕虜たちに可能な全ての治療を講じなければ然るべき罰を下すとして脅した。アティリウス家の人たちは彼らの母を厳しく咎め、ボドストルの遺体を火葬してその灰を彼の親類に送り、ハミルカルを恐ろしい苦しみから解放した。
13 ローマ人の使節団がゲスコ(16)と一緒にバルカのもとに来て協定の条項を読むと、彼はある点まで沈黙を守った。しかし武器を手放して逃亡兵を引き渡すべきだということを聞くと、彼は我慢できずにすぐに彼らに出ていくよう命じた。彼の言うところでは、彼は怯懦によって恥ずべき行いに同意するよりはむしろ戦って死ぬ準備をした。そして彼は、運命の女神は移り気で、全てが失われてもしっかり踏みとどまる者の側へとやってくるものであり、アティリウスの場合がこれほどの予期せぬ逆転劇の際だった証拠を与えたことを知ってもいた。
14 ローマ人がカルタゴ人と二四年間戦争をしてリリュバイオンを一〇年間包囲下に置いた後、彼らは講和した。




(1)プブリウス・クラウディウス・プルケル。紀元前249年の執政官。
(2)紀元前249年のドレパナ(あるいはドレパヌム)の海戦。
(3)紀元前249年のフィンティアスの海戦。
(4)紀元前249年の執政官ルキウス・ユニウス・プルス。
(5)これはローマの守備隊を指すものであろう(N)。
(6)ユニウスを指す(N)。
(7)『イリアス』3.179。
(8)おそらくは以下の12章に出てくるボドストルを指す(N)。
(9)ガイウス・フンダニウス・フンドゥルス。紀元前243年の執政官。
(10)傭兵戦争で名を馳せた人物で、11章の同名人物とは別人(N)。
(11)紀元前242年の執政官ガイウス・ルタティウス・カトゥルス。
(12)シケリアの西に連なるアエガテス諸島を構成する島の一つ。
(13)この海戦は紀元前241年のアエガテス諸島沖の海戦を指す。
(14)マルクス・アティリウス・レグルス。
(15)ハミルカル・バルカとは別人。
(16)終戦時のリリュバイオンのカルタゴ軍の司令官(N)。




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