アッピアノス『ローマ史』「ヌミディア戦史」(断片)

告発を受け、裁判を前にしたボミルカルはユグルタと共に逃走し、このユグルタは「買い手が見つかれば、ローマ市全部だって売り物になるぞ」という収賄者についての有名な文句をうそぶいた〔話の背景としては、紀元前118年にヌミディア王ミキプサが死んでアドヘルバルとヒエンプサルという二人の息子が共同統治を始めたが、ミキプサの甥ユグルタが彼らに挑戦し、ユグルタはローマの介入をかわしてヌミディア全土を手に入れた。ユグルタと対立した末にローマに亡命したマッシワというヌミディア王族をヌミディア王に担ぐ動きがローマで起こり(紀元前110年)、ユグルタは腹心のボミルカルを使ってマッシワ暗殺を図ったが失敗。この事件が露見したためにボミルカル、続いてユグルタはイタリアを退去した。サルスティウスによればローマを去る際にユグルタは「売り物の都よ、買い手が見つかればたちどころに滅びるであろう」という捨て台詞を吐いたという(サルスティウス『ユグルタ戦争』, 35)。〕。
マイ枢機卿のバチカン写本より

メテルスはアフリカ属州に戻ってきて、そこで敵に手心を加え味方に残忍だったとして兵たちから告発されたが、それは彼が気に入らない者たちを厳しく罰していたからだった。
ペイレスクの手稿より

メテルスはウァッカの元老院〔の議員〕を悉く処刑したが、それは彼らがローマ軍の守備隊を裏切ってユグルタに差し出したからであり、守備隊長で、敵との結託を疑われていたローマ市民トゥルピリウスも一緒に処刑した。ユグルタがトラキア人とリグリア人の逃亡兵をメテルスに引き渡した後、後者はそのうち一部の者の両手を切り落とし、他の者は腹まで地面に埋め、矢と投げ矢で指した後に生きたまま火をつけた。
ペイレスクの手稿より

マリウスがキルタに到着すると、ボックスからの使者が彼のもとに来て、自分との会談のために誰かを遣るよう求めてきた。したがって彼は副官のアウルス・マンリウスと財務官のコルネリウス・スラを送った。せっかくユグルタから手に入れた領土をマリウスが取り上げたせいで自分はローマ人と戦うことになった、とボックスは彼らに述べた。ボックスのこの苦情に対してマンリウスが答えて曰く、ローマ人はこの領地を戦争の法に則ってシュファクスから手に入れてマシニッサに贈ったのであり、こういった贈り物は元老院とローマの人々が望む間だけ受け取って保持できるものだ。ローマ人は理由もなく贈り物を取り返したりしない。マシニッサが死に、彼の孫を殺したユグルタはローマ人に戦争を起こした。彼が言うに「ローマ人に帰属する財産をユグルタから手に入れられると貴殿が考えるというのでなければ、我々が友人に贈った贈り物を敵が保持するのは正当ではない」領土問題に関するマンリウスの言葉は以上のようなものだった。
『使節について』より

ボックスはマリウスに和平を求めてスラに彼らの交渉の支援を行うよう説くためにもう一つの使節団を送った。この使節団は道中で盗賊による強奪を受けたが、スラは彼らを暖かく迎え入れ、マリウスがガエトゥリアから帰ってくるまで彼らを接遇した。ボックスの案件についてはスラと相談せよとボックスを説くように、とマリウスは使節たちに勧めた。したがってボックスがユグルタを裏切ろうという気になると、彼は新たな軍を集めるという口実で隣接するエティオピア人(東はエティオピア、西はマウレタニアのアトラス山脈まで広がって〔住んで〕いた)の周囲に伝令を送り、それからスラを相談のために自分のもとに送ってくれるようマリウスに頼み、マリウスはそうした。このようにしてボックスその人、彼の友人マグダルセス、カルタゴのコルネリウスという名のさる自由民はユグルタの友人でボックスの行動を監視するために彼の陣営に残されていたアプサルを欺いた。
『使節について』より




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