プロコピウス『戦史』2巻 続ペルシア戦史



I
 これからほどなくしてホスローはベリサリウスがユスティニアヌス帝のためにイタリアをも手に入れる仕事に着手していたのを聞くと、自分の考えを抑えることが最早できなくなったが、協定を破棄するための尤もらしい口実が見つかるのを願った。彼はアラムンダラスとこの件について相談し、戦争の原因をこしらえるよう彼に指示した。かくしてアラムンダラスは、境界問題をめぐって自分への侵害好意を行ったとしてアレタスを非難し、平和な時に彼との争いに入り、この件を口実にしてローマ人の領地に侵入した。ペルシア人もローマ人も自分を協定に含めていない以上、自分は彼らの間の協定を破ろうとしているのではないと彼は言い放った。これは本当だった。というのもサラセン人のことは協定では言及すらされていなかったが、この理由というのは彼らは名目上ペルシア人とローマ人のうちに含まれていたからだった。さて、その当時にサラセン人の両部族〔「ローマに従属するサラセン人とペルシア人に従属するサラセン人のこと」(N)。〕によって〔領有権の〕主張がなされていたこの地方はストラタと呼ばれており、パルミュラ市の南に広がっていた。そこは太陽で焼かれて極度に干からびていたため、一本の木も、穀物の育つ土地にあるような役に立つ木も生えておらず、昔から僅かばかりの家畜の群れの牧草地に充てられていた。この時にアレタスは、全ての人によって長らくそこに適用された名前――ストラタは「舗装された道」を意味するラテン語だったからだ――を証拠として持ち出してその土地はローマ人に属すると主張し、さらに最古の時代の人々の証言を証拠として挙げた。しかしアラムンダラスは名前についての議論には決して立ち入ろうとせず、そこの放牧地では家畜の群れの所有者が昔から自分に年貢を納めていたと言い張った。したがってユスティニアヌス帝は争論の解決をストラテギウスに委ねた。彼はパトリキウス位で、帝室財産の管理人で、さらに血統の良い賢者だった。パラエスティナの軍を指揮していたスムスが彼に付けられた。スムスは、エティオピア人とホメリタエ族への使節として少し前に勤務したユリアヌスの兄弟だった。彼らのうちの一方のスムスは、ローマ人はその地方を差し出すべきではないと唱えたが、ストラテギウスは、全く重要でない不毛で穀物に適さない寸土のためにペルシア人がかねてから欲しがっていた戦争の口実をペルシア人にわざわざ寄越してやるべきではないと皇帝に訴えた。したがってユスティニアヌス帝はその案件を検討し、その問題の解決に多くの時間をかけた。
 しかしペルシア人の王ホスローは、最近彼の家系に大きな敵意を示していたユスティニアヌスによって協定が反故にされたと、そしてその中でユスティニアヌスは平和な時にアラムンダラスを自分に靡かせようとしていると言い立てた。というのも、彼が言うところでは、最近表向きは諸問題を取り決めるためにサラセン人のもとに送られていたスムスはローマ人の側につくという条件で多額の金を約束して彼を騙したとのことで、彼が述べ立てるところではユスティニアヌス帝がこういった事柄についてアラムンダラスに宛てて書いた手紙をスムスが出したとのことだった。また彼は、ユスティニアヌスが一部のフン族にペルシア人の領土に攻め込んで周辺地方に大規模な被害を与えるよう求める手紙を出したと言い張った。彼はこの手紙が以前彼のもとに来たフン族自身から自分の手に渡されたと主張した。こうしてホスローはローマ人に難癖をつけて協定を破棄しようとした。しかし彼がこれらの問題について本当のことを述べているのかどうか、私にははっきりとは言えない。

II
 この時、すでに戦争で追い詰められていたゴート人指導者ウィティギスはローマ人に対して進軍するよう説き伏せるために二人の使節をホスローのもとへと送った。しかし使節団の真の性格をすぐに露わにしないようにし、ひいては交渉が無益なものに終わらないようにするために彼はゴート人ではなく、金銭の授与によってこの計画に惹きつけられたリグリア人の司祭たちを送った。彼らのうちのは比較的尊敬に値すると見られていた方の人は全くの別人の司教の名を称して使節任務を引き受けた一方、他の者は彼の随行員として付き従った。旅の途上でトラキアの地へと来ると、彼らはそこからシリア語とギリシア語の通訳員を同行させ、ローマ人に気取られることなくペルシアの地へと到達した。彼ら〔ローマ人とペルシア人〕が平和だった限り彼らはその地方を厳重に見張っていなかった。そしてホスローの前に出ると彼らは以下のように話した。「おお陛下、他の全ての使節団は普通は自分たちの利益のために仕事に着手するものでありますが、私どもはゴート人とイタリア人の王ウィティギスによって陛下の王国のために一席ぶつために送られてきましたものですが、このことは真のことでございます。彼が陛下の前で以下のような話をしているものとお考えいただきたい。陛下、早い話陛下はご自身の王国とそこの全ての民をユスティニアヌスに差し出したのだと述べる者がいたとすれば、彼の言うことは正しいことになります。それといいますのも、彼は生来干渉好きで全く自分のものではないものを欲しがる人であり、物事が落ち着いて整っていることに我慢することができないものですから、全ての土地を我が物にせんという欲望を抱き、ありとあらゆる国を手に入れようと躍起になっているのです。したがって――彼は単独ではペルシア人を攻撃できないものだから、自分と対立するペルシア人を他の人のもとに攻め込むようけしかけることもできないものですから――彼は平和を口実にあなた様を欺き、あなた様の国と対抗する戦力を手に入れるために他の国を無理矢理従属させようと決め込んでいるのです。したがってゴート人が友好のために彼のことを傍観していた間にヴァンダル人の王国をすでに滅ぼしてマウロス人を服属させた後、彼は我らに対して多額の金と多くの兵を投入して襲来してきました。彼がゴート人をも完全に撃破すれば、友好の名目を一顧だにせず宣誓した約束も恥じることなく、我らと隷属させた人たちを連れてペルシア人の方に攻め込んでくることは今や明らかです。こういったわけですから、身の安全の希望があなた様のもとにまだ残っているうちに、我らをさらに悪い目に遭わせず、ご自身も被害を被らないようにせず、我らが拝んだ不運が少しすればペルシア人に降りかかることをご理解いただきたい。そしてローマ人はあなた様の王国をよしなに扱うことは決してないこと、そして彼らがより力をつければ何も躊躇わずにペルシア人に敵意をむき出しにすることを考慮していただきたい。したがって、この絶好の好機が終わった後になって好機を求めたくないのであれば、この絶好の好機をお活かしください。といいますのも一度過ぎ去った好機というものは再び巡ってくることはないものです。グズグズして好機を見逃して敵の手によってありうるこの上なく悲惨な運命をたどるよりは安全のために備える方がよろしゅうございましょう」
 ホスローはこれを聞くと、ウィティギスは良い忠告をしてくれたものだと思い、協定の破棄によりいっそう乗り気になった。というのも彼はユスティニアヌス帝を妬んでいたため、ユスティニアヌスの宿敵たちが彼に語る言葉の検討を全く怠っていたからだ。しかし彼はそのことを望んでいたために進んで説得に応じた。そして彼はアルメニア人とラジ人の提案に際しても少し後に全く同じことをしたが、これらについては間もなく述べるつもりである。なおも彼らはユスティニアヌスに対する非難として、元より立派な君主にとっては賛辞となるようなことを、つまり彼は自らの王国をより大きく、より申し分ないものにしようと尽力しているのだと言い立てた。そのような非難はペルシア人の王キュロス、マケドニア人アレクサンドロスに対してもできよう。しかし正義が嫉妬と共に安住した試しはない。こういった理由からこの時にホスローは協定の破棄を目指した。

III
 時を同じくして今一つの出来事が起こったが、それは以下のようなものである。ファランギオンをローマ人に渡したシュメオンは戦争がまだたけなわだった時、アルメニアのある村々を引き渡して進ぜようとユスティニアヌス帝を説き伏せた。彼がその土地の主になると彼に対する陰謀が練られ、彼は以前の土地所有者たちによって殺された。この犯罪行為が犯された後、殺害の下手人たちはペルシアの地へと逃げた。彼らは二人の兄弟で、ペロゼスの息子だった。これを知った皇帝はシュメオンの甥のアマザスペスにそれらの村を与え、アルメニア人の統治者に任命した。時が流れてこのアマザスペスはアルメニア人を不当に扱ってペルシア人にテオドシオポリスとその他諸々の城塞を引き渡そうと望んでいるとしてアカキウスという名の友人によってユスティニアヌス帝に讒訴された。このように述べた後、アカキウスは皇帝の意を受けてアマザスペスを騙し討ちにして殺し、アルメニア人の統治権を皇帝から贈られて手に入れた。彼は生来のさもしさの故に自らの内なる性格を露わにする機会を得ることになり、自分の下風に立つ全ての人たちにこの上ない残忍さを示した。というのも彼は何の口実もなく彼らの財産を略奪し、前例のない四ケンテナリアの税を支払うよう命令したからだ〔「第1巻22章4節も参照」(N)。〕。しかしアルメニア人は彼にもう耐えられなくなり、陰謀を練ってアカキウスを殺してファランギオンへと逃げ込んだ。
 したがって皇帝はビュザンティオンからシッタスを彼らに差し向けた。というのもペルシア人との協定が結ばれて以来、シッタスはそこに留め置かれていたからだ。かくして彼はアルメニアに来たが、最初は戦争に入るのに気が進まず、新税の納入を免じるよう皇帝を説得すると約束することで人々を宥めて以前の習慣に戻そうと尽力した。しかしアカキウスの息子アドリウスによる中傷に唆された皇帝は彼の躊躇を頻繁に叱責して非難し続け、シッタスに戦いの準備をさせた。他のアルメニア人を征服する仕事の困難と苦労を削減しようとした彼は手始めに多くの財物を与えるという約束によって一部のアルメニア人を味方につ説得につけて彼の側に靡かせようと試みた。勢力と数において大だったアスペティアニ族と呼ばれる部族が彼に味方する気になった。彼らはシッタスのもとへと赴き、彼らが戦いで自分たちの親族を見捨ててローマ軍につくならば全く危害を加えず財産を保持させるという誓約を書面でしてくれるよう請うた。この時シッタスは彼らが望んだ通りの誓約をし、喜んで彼らのために書字板に記した。次いで彼はその書状に封をして彼らに送った。それから彼らの助けを受けて戦わずして戦争で勝利できるだろうという自信を持った彼は全軍を連れ、アルメニア軍が陣を敷いていたオイノカラコンと呼ばれる土地へと向かった。しかし何らかの偶然によって書字板を運んでいた者たちが別の道を進んでアスペティアニ族とは全く会えず仕舞いになった。さらにローマ軍の一部はたまたまごく僅少数のアスペティアニ族たちと偶然出くわし、なされていた合意を知らなかったために彼らを敵として扱った。シッタスその人は洞窟にいた彼らの妻子たちを捕まえて殺したが、それは彼が起こったことを知らなかったか、合意通り自分に合流しなかったアスペティアニ族に腹を立てていたためであった。
 しかし今や怒りに取り憑かれた彼らは残り全ての者共々戦いのために整列した。しかし両軍は絶壁が多い非常に険しい土地にいたために一カ所で戦うことができず、尾根や峡谷に散らばった。かくして少数のアルメニア人と、あまり多くの供回りを連れていないシッタスが峡谷だけを挟んで互いに接近するという事態がたまたま生じた。両隊は共に騎兵だった。シッタスは僅かな兵を連れて峡谷を渡って敵に向けて進んだ。アルメニア軍は後方に退いた後に停止し、シッタスはこれ以上追撃をせず留まった。ローマ軍のうち、敵を追撃中だったエルリ人の出のある兵が突如として急に引き返してシッタスと彼の兵の方に向かってきた。この時、シッタスはたまたま槍を地面に突き刺していた。突っ込んできたそのエルリ兵の馬がこの上に倒れ込んでそれを粉々にした。将軍はこれにいたく腹を立てた。一人のアルメニア兵が彼を認め、他の皆にシッタスがいるぞと言い放った。それというのもたまたま彼は頭に兜を着けていなかったからだ。このようにして彼が僅かな兵のみを伴ってそこに来たことを敵は見逃さなかった。そこでシッタスはアルメニア兵がこのように言うのを聞くと、すでに述べたように彼の槍は地面で真っ二つに割れていたので剣を抜いてすぐさま峡谷を引き返そうとした。しかし敵が躍起になって彼に向かってきて、ある兵士が峡谷で彼に追いついて彼の頭の天辺を剣で斜に打った。彼は頭皮を持っていかれたが骨は全くの無傷だった。そしてシッタスはこれまで以上に押し進み続けたが、アルサケス家のヨハネスの息子アルタバネスが後ろから彼に襲いかかって槍の一突きで彼を殺した。このようにしてシッタスは名誉あるものとは言い難い、彼の勇気と敵に対して積み重ねた業績には相応しからぬ仕方でこの世を去った。彼は非常に眉目秀麗で優秀な軍人で、同輩のうちで並ぶ者のいない名将だった。しかしシッタスはアルタバネスに殺されたのではなく、全く取るに足らないアルメニア人のソロモンによって殺されたのだとも伝わる。
 シッタスの死後、皇帝はブゼスにアルメニア人の方に向かうよう命じた。彼はその近くに来ると皇帝と全アルメニア人の和解を達成することを彼らに約束し、貴族の一部をそういった問題について自分と相談するために来させるよう求めた。この時にアルメニア人は全員が全員ブゼスを信用できていなかったので、彼の提案を受けるのを渋った。しかし彼とは非常に親しく、アルサケス家の一員でアルタバネスの父で、名をヨハネスというある男がおり、この男はブゼスを友人として信用して義理の息子バッサケスと他の少数の者を連れて彼のもとへと向かった。しかし彼らが翌日にブゼスと会うことになっている地点に到着して野営していると、自分たちがローマ軍に囲まれた場所にのこのこ来てしまったことに気付いた。したがって義理の息子バッサケスはヨハネスに去るべきだと真剣に訴えた。そして彼はヨハネスを説き伏せられなかったので彼一人をそこに残して他の全員で一斉にローマ軍から逃げ、同じ道を引き返した。ブゼスはヨハネスが一人でいるのを見つけてこれを殺した。これ以降アルメニア人はローマ人との合意に至る希望を完全に捨てたが、戦争で皇帝に勝つことができなかったために精力的な男だったバッサケスに率いられてペルシア王のもとに向かった。彼らの中の指導的な人たちはその時にホスローの面前に来てこう述べた。「おお陛下、我らの中の多数の者はアルサケス家の者で、アルサケスの子孫でございます。このアルサケスはペルシア王国がパルティア人の手中に収まった時のパルティアの諸王とは血縁がなくはなく、自身が立派な王であり、彼の時代の誰にも劣らぬ王として自らを顕しました。今、我々は陛下のもとへと来て奴隷なり亡命者なりとなっておりますが、それは我ら皆の意志によってではなくこの上なく過酷な強制によるものでございます。これはローマの権力のせいだと思われるでしょうが、しかし真実としては、王よ、これは陛下の決定のせいでありまして、現に不正をなそうと望む者に権力を与える者こそ彼らの誤りの責任を負うのは正当であります。今、少し遡って説明を始めますが、それは陛下が事の次第の一切を追えるようにするためです。その家系に属するであろう者皆がずっとあらゆる方面から妨害を受けることなく暮らせ、とりわけいかなる場合であろうとも徴税の対象とならないという条件で、我らの先祖のうちの最後の王アルサケスはローマの皇帝テオドシウスへの好意から自発的に王位から退きました。そして我々の考えるところである種の共通の破滅と呼んでも間違いではないであろうこの大げさに賞賛されている協定を陛下たちペルシア人が結ぶまで、我々はその合意を守ってきました。といいますのもその時から、王よ、名目上は陛下の友人でありますが実のところ敵である彼は敵も味方も無視して世界を滅茶苦茶にして完全なる混乱状態へと陥れております。彼が東方の人々を完全に服属できるようになるや、これを陛下ご自身も遠からずご存じになりました。それといいますのも、以前は禁じられていたことを彼はしなかったでしょうか? あるいは良く治まっていたもので彼がかき乱さなかったものがあったでしょうか? 彼が以前はなかった税の支払いを我らに命じず、我らの隣人で、独立していたツァニ族を隷属させず、ローマの行政官を憐れなラジ族の王に押し付けなかったとでもいうのでしょうか? これは物事の自然な順序に準じた振る舞いでもなければ、言葉で説明するのも容易なことでもありません。彼はフン族に服属していたボスポロスの人々に将軍を送らず、決して彼に属していない都市を自分に靡かせず、ローマ人がこれまで聞いたこともなかったエティオピア人の諸王国と防衛同盟を結ばなかったでしょうか? さらに彼はホメリタエ族と紅海を手に入れ、椰子の林をローマの支配域に付け加えています。リビュア人とイタリア人の運命については言わないでおきましょう。全ての大地でも彼の男にとっては十分な大きさではなく、彼にしてみれば全世界をまるごと征服するにしてもあまりにも小さいものです。しかし彼は天すら見回し大洋の向こうに隠れ家を探し、何か別の世界を我が物にしようと望んでいます。したがって王よ、なぜ陛下は未だ先延ばしにしているのでしょうか? 事実として彼が陛下を締めのごちそうにするためにしたこの上なく忌まわしい平和を陛下がなぜ重んじておられるのはなぜでしょうか? ユスティニアヌスのような男が自分に屈服した人にどのような姿を見せるのかを知りたければ、その実例は我らと憐れなラジ族のもとに見出すことができましょう。もし陛下が彼が自分の知らない人たちと自分に何ら悪事を働いていない人たちをどのようにいつも扱っているのかを知ろうと欲するならば、ヴァンダル族とゴート族とマウロス人のことを考えていただきたいものです。しかし主たることはまだ話されておりません。彼は平和な時に欺瞞によって陛下の僕アラムンダラス、この最も有力な王を味方に付けようとせず、そして彼を陛下の王国から切り離そうと試みようとせず、最近、陛下を悩ますために彼が全く知らなかったフン族を靡かせようと苦心しなかったことでしょうか? そしてこれ以上に尋常ならざる行動はついぞ行われたことはありませんでした。といいますのも、蓋し、東方世界の打倒は速やかになされることであろうと私は了解しておりますし、彼はすでに東方の陛下への攻撃に着手しておりますが、それはペルシアの勢力は唯一残っている彼が戦う相手だからです。したがって、彼に関する限りでは、平和はすでに陛下のもとを去っており、彼その人は恒久的な平和に終止符を打ったのです。平和を破るのは最初に武器を取る側ではなく、平和な時に隣人への陰謀を巡らす者たちです。その罪悪は、奏功しなかったとしてもそれを試みる彼によってなされたものです。さて、続いて起こるであろう戦争の経過は誰の目にも確実に明らかです。というのもそれは戦争の原因をこしらえる者ではなく、原因をなす者に対して自衛を図る者こそが常に敵に対しては征服者となるものですから。いやさらに、戦いは力の点でさえ全く互角にはならないことでしょう。というのも、実は、ローマ兵の過半数は世界の果てにいて、彼らが持つ最良の二人の将軍については、我々がここにその一人シッタスを殺したところで、ベリサリウスはユスティニアヌスによって再び送られることはないであろうからです。ベリサリウスは主君を無視して西方に留まり、イタリアを我が物としております。そのようなわけですから陛下が敵に立ち向かえば立ち塞がる者はおらず、当然の理として我らはその国についての完全な知識と善意を持った軍を率いることになるでしょう」。ホスローはこれを聞くと喜び、ペルシア人のうちで高貴な血筋の人全員を呼び集め、ウィティギスが述べたこととアルメニア人が述べたことを全員に発表し、彼らを前にしてどうすべきなのかを問うた。そこで侃々諤々と多くの意見が表明されたが、最終的には春の初めにローマ人と戦端を開くべきだという結論が出た。その時は晩秋で、ユスティニアヌス帝の統治13年目だった。しかしホスローが西方の成功で皇帝を非難していることと、私がさっき述べた非難を喜んで行っていたことを聞き知っていたにもかかわらずローマ人は疑いを持たず、彼らはペルシア人がいわゆる恒久和平を破棄するつもりでいようとは夢にも思っていなかった。

IV
 その時に彗星が出現した。これは最初のうちは大柄な男くらいの大きさだったが、後にずっと大きくなった。その端は西、頭は東を向き、太陽の後をついていった。というのも太陽が山羊座の位置にいた時にそれは射手座の位置にいたからだ。それは相当に長く先端が尖っていたためにある人たちはそれを「メカジキ」と、別の人たちは「髭のついた星」と呼んだ。それは40日以上も見られた。さて、こういった主題に通じた人たちは互いの意見の一致を見ず、ある人はこのように言い、別の人はこの星が示しているのは別のことだと言った。しかし私は起こったことを書くだけにし、各々が望む通りの結論で判断するに委ねる。間もなく強力なフン族の軍勢がイストロス川を渡って全ヨーロッパの鞭となった。このようなことは前に何度も起こったことだが、その土地の人々にとってこれほど悲痛をもたらしたこともこれほど恐るべきことも未だかつてなかった。この夷狄はイオニア湾からビュザンティオンの近郊あたりまでの全てを首尾良く略奪した。そして彼らはイリュリクムの32の砦を奪取し、我々の知る限りでは昔はポテイダイアと呼ばれていて、未だかつて城壁で戦ったことがなかったカッサンドレイア市を攻め落とした。彼らは金を分捕って12万人の捕虜を連行し、皆で抵抗に遭うことなく故郷へ退いた。後にまた彼らはしばしばそちらへとやってきてはローマ人に取り返しのつかない災難をもたらした。この同じ人たちはケルソネソスの防壁も攻撃してその防壁で身を守っていた人たちを破り、海の波を越えて接近し、いわゆる黒い湾〔メラス湾。〕の防壁に登った。こうして彼らはその長城の内側に入り、ケルソネソスのローマ人に出し抜けに襲いかかってその多くを殺し、生き残りのほぼ全員を捕らえた。彼らのうち少数の者たちはセストスとアビュドスの間の海峡を渡り、アシア地方を略奪した後に再びケルソネソスに戻り、残りの軍と共に全ての戦利品を携えて帰郷した。別の侵略で彼らはイリュリクムとテッサリアを略奪し、テルモピュライの防壁を攻めようと試みた。防壁の防衛軍がこの上なく勇敢に彼らに交戦したため、彼らは周囲の道を調査して回り、そこにそびえ立つ山へと続く道を予期せず見つけた〔「フン族は海と山の間にある峠の防衛軍の背後に軍の一部を差し向け、おそらくクセルクセスがレオニダスと彼の300人のスパルタ軍を壊滅させた時に使った(ヘロドトス, vii. 216-218を見よ)のと同じ道を通って迂回させた」(N)。〕。このようにして彼らはペロポネソス人を除くほぼ全てのギリシア人を壊滅させ、それから退いた。程なくしてペルシア人は協定を破棄し、私が間もなく述べるように東方のローマ人に害を及ぼした。
 ベリサリウスはゴート人とイタリア人の王ウィティギスを破った後に生け捕りにした彼をビュザンティオンへと連行した。私は今ペルシア人の軍がどのようにしてローマ人の土地に攻め入ったのかを述べることに進もう。ユスティニアヌス帝はホスローが戦争に前向きだと知ると、彼に忠告を申し出てその企図を思いとどまらせようと望んだ。この時たまたま、その聡明さが評判になっていたアナスタシウスという名のある人がダラス市からビュザンティオンへと来ていた。彼はダラスで最近打ち立てられた僭主政治を打倒した人だった。したがってユスティニアヌスは手紙をしたため、これをこのアナスタシウスにホスローのもとへと届けさせた。その手紙の文言は以下のようなものだった。「戦争の原因が、とりわけ本当の意味での友人である人たちに対して立ち現れる時、それを終わらせようと全力を尽くすのは思慮分別ある人と、神聖なものに然るべき敬意を払う人の領分です。しかし戦争と反乱の実際にはありもしない機会を覗うのは、愚かな人と、この上なく軽々しく天に敵意を向ける人の領分です。ものの本性は最も卑しい行動を最も卑劣な人たちに用意ならしむるものである以上、今、平和を破壊して城壁に入ることは難しい問題ではありません。しかし彼らが自分たちの意図に基づいて戦争を起こせば、再び平和を取り戻すことは人々にとって簡単なことではない、そう私は考えるものです。まだ貴殿は何ら秘密の目的を手紙に書かなかったとして私を非難しており、今は、我々が手紙を書いた時に考えていた意味でではなく、何の口実もなしに貴殿の計画を実行に移そうと望む御身の利になるようなことを、任意の判断でもって説明するよう急かしておいでです。しかし我々としては貴殿の方のアラムンダラスが最近我々の土地に侵入して和平の時期に悪逆非道の限りを尽くした、つまり町々の占領、財産の強奪、夥しい人たちの虐殺と奴隷化を行ったことを指摘することができますが、こういったことに関しては我々のせいにするのではなく弁明をするというのが貴殿の義務でございます。といいますのも、悪しきことをした者の犯罪行為は彼らの考えていることではなく行動によって隣人にとって明らかになりました。しかしこういったことがあっても、我々はまだ平和を守ろうと決意していますが、貴殿がローマ人に戦争を仕掛けようという熱意を持って全く我らに関わりがない非難をこしらえていることを我々は聞き知っております。これは当然です。というのも目下の状態を保とうとする人が最も追い詰められている友人へのそういった非難をはねのけることすらする一方、樹立された友好に満足しない者はありもしない口実をでっち上げようとすら務めるわけです。しかしこれは尋常な人間にさえ相応しいことだとは見えないでしょうし、況んや王においては尚更です。しかしこういったことを脇に置くにしても貴殿は戦争の中で双方で多くの人が死ぬことを顧慮し、誰がこれから起こるであろう事柄の責任を負うのが正しいのかを顧慮し、そしてその後には貴殿が詐術や詭弁によって彼らを不当に辱めるにしても、貴殿は彼らに道を踏み外させることはできないであろうということを顧慮していただきたい。なんとなれば天は人間が騙すにはあまりにも強いものだからです」。この言伝を見ると、ホスローは即座に返答を寄越したのでアナスタシウスは失望させられなかったが、ホスローはそこにとどまるよう彼を強いた。




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