7巻→ディオドロス『歴史叢書』8巻→11巻

1 エレア人は数の多い国民になって法に従って自らを治めたため、ラケダイモン人は彼らの増大する勢力を疑惑の目で眺め、彼らが平和の恩恵を享受して戦争の活動を経験することがないようにするため、共同体にとって固定した生き方を彼らに打ち立てるべく支援した。彼らはギリシア世界のほぼ全てで同意されているような仕方でエレア人に神〔ゼウス(N)。〕を祀らせた。その結果、エレア人はクセルクセスに対する戦争に参加せず、神に当然の栄誉のための責務のためにそのような仕事〔戦争〕から解放され、さらに同様の諸戦争でギリシア人が互いに戦った時には、全てのギリシア国家が神聖なものとこの地と都市の不可侵性を保つことに熱意を持っていたためにいかなる国もそのような煩わしさを彼らに課さなかった。しかし幾世代も後のエレア人は戦争に参加して自ら選んで戦争に突入し始めた。
 エレア人は残りのギリシア人全てが共に行っていた戦争に加わらなかった。事実、クセルクセスが大軍勢を連れてギリシア人に向けて進撃してきた時、同盟諸国は彼らに戦場での働きを免除し、指導者たちは彼らが神々に相応しい栄誉のための責務を引き受けるつもりならばより重要な責務に向かうように指示を出した。
2 彼女〔ウェスタの巫女となったレア・シルウィア〕は密かにであろうとも男を抱擁することを許されなかった。というのも誰であれ生涯の幸福を刹那的な快楽と交換するほど愚かではない(とアエムリウスは考えた)。
3 ヌミトルはアムリウスという名の弟に王位を奪われ、アムリウスはアルバ人の王になったが、彼の望みとは裏腹にヌミトルがレムスとロムルスという自分の孫を認知すると、ヌミトルはこの同じ兄弟〔アムリウス〕を亡き者とするために計略を企んだ。その計略が実行に移され、羊飼いたちを呼んだ彼ら〔レムスとロムルスの兄弟〕は宮殿に向けて進み、玄関の内側へ向けて押し通って刃向かう者を皆殺しにし、その後アムリウスもまたそのようにされた。
4 その子供たち、すなわち子供時代を体験したロムルスとレムスが成人に到達すると、身体の美しさと力において残りの全ての人を上回るようになった。したがって彼らは全ての群れの保護を担い、強奪を働く者を易々と追い払って襲撃に来た多くの者を殺し、ある者は生け捕りにした。この仕事に示した熱意に加えて彼らはその地方の全ての羊飼いと親しくし、集会に加わって彼らの助けを必要とする人たちにその穏やかで社交的な人柄を示した。かくして全ての人の安全がレムスとロムルスにかかるようになると、人々の過半数は彼らに服従して彼らの指示を実行し、彼らが命ずる場所ならどこであれ参集した。
5 レムスとロムルスが都市の建設の予示を占うために鳥が飛んでいく様を見ていると、伝えられるところでは(ロムルスに)吉兆が現れたらしく、驚いたレムスは兄に言った。「この都市では、見当違いの忠告が運命の好転につながることが何度もあったのさ」事実、ロムルスは伝令を送ろうとあまりにも急いでいたし、彼自身はというとまったく間違っていたものの、彼の不心得は一つの偶然によって正しいものになった〔ディオドロスのこの出来事の説明はハリカルナッソスのディオニュシオスの説明(1巻86章)に倣ったものである。曰く、ロムルスは「熱望と嫉妬から」レムスに自分がすでに鳥が示す吉兆を得たという嘘を伝えようとし、伝令がレムスのもとにたどり着く前にレムスは六羽のハゲワシが右の方を飛んでいるという吉兆を見た。レムスがロムルスのもとに急行してどんな種類の鳥を見たのかと尋ねると、ロムルスが答えをためらっていた間に突如として一二羽のハゲワシが現れたため、レムスがまさにこれらの鳥を見ることができた時にどんな問いを問えるというのかとレムスに尋ねたという(N)。〕。
6 ローマ建設に関連してロムルスは近隣の人たちが彼の計画を邪魔しようとするのを防ぐべくその周りに急いで掘りを掘った。そしてレムスは重要な土地獲得の失敗に腹を立てて兄弟の好運を嫉妬したため、作業員たちのもとへ来て彼らの仕事をけなした。敵はそんな堀など難なく突破できるだろうから、掘は狭すぎて都市は簡単に落ちるだろうと彼は言い放った。しかしロムルスは怒りながらこう答えた。「私は堀を乗り越えようとする者には報復を行うべしと全ての市民に命じることにしよう」レムスは再び作業員たちを嘲弄し、堀をあまりにも狭くしていると言った。「なんとまあ敵は易々と堀を突破できることだろうか。見てみろ、俺だって簡単にできるぞ」そして言葉通り彼は堀を飛び越えた。作業員の一人のケレルなる者が彼に答えた。「王様の命令通り俺は堀を飛び越える者に仕返しすることにしよう」そして言葉通り鋤を振り上げてレムスの頭を打ち、彼を殺した。
7 大金持ちで高名な祖先を持っていたメッセニア人ポリュカレスはスパルタ人エウアイフノスとより広い土地を分かち合うことを合意した。家畜の群れの監視と保護を引き継ぐと、エウアイフノスはポリュカレスを騙してつけいろうとしたが、見破られてしまった。その方法はこのようなものだった。彼が何頭かの牛と牛飼いたちを商人らに売り、これらがその地方から連れて行かれたことを了解すると、彼は強盗が無理矢理襲ったせいでそうなったと言い張った。商人たちは船でシケリア島へと渡ろうとしてペロポネソス半島をぐるりと回っていた。嵐が起こると彼らは陸の近くに碇を下ろしたが、ここで牛飼いはそこならば土地勘があるから安心だと感じ、夜に小舟でこっそり抜け出して逃げた。それからメッセネへと向かって主人に事実の一切合切を暴露した。ポリュカレスは奴隷を隠し、それから共同運営者〔エウアイフノス〕にスパルタから自分のもとに来るように頼んだ。牛飼いたちが強盗に連れ去られて残りの者は殺されてしまったという話をエウアイプノスが言い張ると、ポリュカレスはその男たちを招き入れた。その男たちを見ると、エウアイフノスは驚き、彼の反論が明白なものであったために牛を返還すると約束したわけであるが、彼には最早言い逃れの言葉も残っていなかった。ポリュカレスは親切という義務を重んじてこのスパルタ人がしたことを言わず、支払われるべきものを受け取らせるために自分の息子を彼に付き添わせた。しかしエウアイフノスは自分がした約束を忘れ、あまつさえ自分に付き添ってスパルタに来たこの若者を殺害した。この無法な行いに激怒したポリュカレスはこの犯罪者の身柄を要求した。しかしラケダイモン人が彼の要求に聞く耳を持たず、エウアイフノスの息子を返答のためにメッセネへと送った結果、ポリュカレスはスパルタにやって来て監督官たちと王たちを前に自分が被った悪事を陳述した。しかしポリュカレスは好き勝手に戻る機会を得ると、その若者を殺して報復としてその都市〔スパルタ。〕を略奪した。
8 犬たちが吠えてメッセニア人が落胆していたところ〔第一次メッセニア戦争中、戦況の悪化を受けてメッセニア人がイトメ山に撤退した時のこと。〕、長老の一人が進み出て、予言者らのぞんざいな所見など無視するよう人々に訴えた。というのも彼が言うには、未来を予言する力がないおかげで彼らは私的な事柄でさえ多くの過ちを犯すものであり、今回の場合の問題は神のみが予測でき知ることができる事柄に関するものであり、彼らも所詮ただの人である以上はそういったことを理解することなどできない。したがって彼は人々にデルフォイへと使者を送るよう訴えた。ピュティアの巫女は以下のような返答を彼らに与えた。彼らは誰であれアイピュトス〔メッセニア王クレスフォンテスの息子で、父の死後王位を奪ったポリュポンテスを殺し、王位に就いた。〕一族の家系から一人の乙女を犠牲に捧げねばならず、もしくじが当たった者を神々に捧げることはできなければ、彼らは同じ一族の出の父が自発的に提供を申し出た乙女を犠牲に捧げなければならない。神託は続けて言った。「もしお前がこれを為せば、戦での勝利と力を得るだろう」……〔欠落〕。心の目でその殺害を思い浮かべる時には我が血を受け継いだ子への愛情が各々の人の心に忍び込んだため、どんなに大きな栄誉でも両親の目には我が子の命と同じ重さを持つことはなく、同時に彼〔我が娘を生け贄に捧げたアリストデモス王〕は自分がまるで裏切りを働いたかのように我が子に確実な死を与えてしまったことへの恐れでいっぱいになった。
9 彼〔次章に出てくるアルキアスかもしれない(N)。〕は自らの名誉に相応しからぬ過ちへと真っ逆さまに突っ込んでいった。というのも愛の力は若者を、とりわけ身体の強さを自慢するような若者を絡め取る力があるからだ。これが古の神話の著者たちがヘラクレスを他の誰にも負けないが愛の力で征服された人物として表現した理由である。
10 コリントス人アルキアスはアクタイオンへの愛に捕らえられ、何よりもまずその若者に使者を送って信じられないような約束をした。彼が父の誉れへの節度とその若者自身の節度に反する行動をさせるよう説き伏せることができないと、彼は好意にも懇願にも屈しない若者に力を使って無理強いしようとしてより多くの仲間を集めた。そしてついに、アルキアスは集めた男たちの一団に酒を飲ませ、彼の情動は彼をメリッソスの家に押し入ってその少年を力尽くで連れ去り始めるほどの狂気へと駆り立てた。しかし父と他の家人たちはアクタイオンをしっかり掴み、両集団の間で起こった暴力尽くの争いの中で知らず知らずのうちに少年は守る人たちの腕の中で息を引き取ったのが発見された。したがってその出来事の奇妙な展開を顧みるならば、我々はこの犠牲者の運命を憐れんで運命の予期せぬ変転に思いをめぐらさざるを得なくなる。というのもその少年は彼の名前通りの同じ死に方をし〔ギリシア神話に登場する同名の人物は自分の猟犬たちに食い殺されて死んだ。〕、それも彼らはいずれも自分を最も助けてくれた者の手の中で同じようにして命を落としたからだ。
11 アガトクレス〔この人物に関して他のことは不詳(N)。〕はアテナ神殿建設の監督者に選ばれ、切られた石塊から最も見事な塊を選ってそのために自腹を切ったが、それらの石を使って高額な家を建てるという適当とはいえない使い方をした。彼のこの行いに際して、神が人々に対して自らを顕現させたと伝えられる。というのもアガトクレスは雷に打たれ、家もろとも炎によって消え去ったからだ。彼の相続人たちは彼が聖域や国家に属する金を取らなかったという証拠を提示したものの、土地共有者たち〔Geomori。シュラクサイとサモスの貴族であり、アテナイでもこの名を持った集団がいた(N)。彼らはサモスでは最後の王を殺して紀元前6、7世紀にかけて寡頭制を敷き、紀元前5世紀にも一定の勢力を持っていた。〕は彼の財産は国家に没収されるべしと裁定した。彼らはその家を女神に捧げて何人たりとも立ち入りを禁じ、今日に至るまでそれは「雷に打たれた家」と呼ばれている。
12 この後に王〔メッセニアのエウファエス王。この出来事は第一次メッセニア戦争での出来事。〕は負傷から立ち直ると、勇気への報酬に関する裁判を開くことを提案した。クレオニスとアリストメネスという二人の人物が競い、いずれも名声に関して自分なりの主張を持っていた。というのもクレオニスは王が倒れた時に自分の盾でかばい、突っ込んできた八人のスパルタ兵を殺し――そのうち二人は高名な隊長だった――殺した者全員から一揃いの鎧を剥いで自分の盾持ちたちに与えていたため、彼はこれを法廷で勇気の証とした。彼は多くの傷を受けたにもかかわらず正面のスパルタ兵全員に立ち向かい、いかなる敵にも背を向けなかったという完全な証拠を提示した。アリストメネスはというと、彼は王の身体をめぐる戦いで五人のラケダイモン人を殺し、彼に襲いかかったその敵から一揃いの鎧を剥いだ。また彼は無傷で、戦場から都市に戻る際には賞賛に値する行動を成し遂げたのだった。クレオニスは負傷のために介助なくして歩くことができず、手で引っ張ってもらわなければならないほど衰弱していた。アリストメネスは自分も自分の完全装備の鎧を運んでいて、クレオニスが体躯の大きさと体力では他の全ての者に勝っていたにもかかわらず、彼を肩に担いで都市まで連れて行った。以上のように訴えを持って彼らは勇気への報酬を求めて裁判にやって来たわけであり、王は主要な隊長たちと共に法が規定する通りに席についていた。そこでクレオニスが最初に話すことになり、以下のような言葉で彼らに向けて演説をぶった。 「判事の諸兄は我らそれぞれの行状を自ら目撃した方々である以上、勇気への報酬に関しては簡潔な演説で十分でありましょう。私はとしては、我らがいずれもこの一度の機会、この一戦で同じ敵を相手に戦った際に私が殺した人数のほうが多いことをあなた方に思い起こさせれば十分でございます。したがって同じ状況で殺した敵兵の数で一番だった者が勇気の報償でも一番であるというのが正当な主張であることは明らかです。さらに我ら二人の身体は優越のこの上なく明らかな証拠であり、一方は戦いに赴いて正面から受けた傷で覆われ、他方は激しい会戦からではなくお祭りの寄り合いから帰ってきたために敵の剣の威力を経験しなかったのです。確かにアリストメネスの方が運が良かったのでしょうが、我ら二人のうちより勇敢な方だとは判断されないというのが正当でありましょう。というのも、身体の切り傷に耐えた者は祖国のために身を惜しまなかった者である一方で、敵と取っ組み合いをして危険の真っ只中でも負傷しないでいられるのは我が身が傷つくのを避けたからに他ならないことは明らかです。自らが戦いの目撃者でもある判事殿を前に、敵を殺した数がより少なく、より我が身を危険に晒すことがなかった者が、両方の事由で第一の地位を占める者を差し置いて贔屓されるとすれば、それは馬鹿馬鹿しいことでしょう。さらに負傷で完全に疲弊した身体を運ぶことが身体の強健さを示したとしても、これ以上の危険に脅かされない時に行われたのであれば勇気の印とはなりません。あなた方が決定すべき争議はこの論議に言葉ではなく行動についてのことである以上、私があなた方に述べたことで十分でしょう」
 アリストメネスが話す番になり、彼は判事たちにこう述べた。「命を救ってもらった者が勇気の報償に関して自分を助けた者と争おうと考えていることに私は驚いております。というのもその必然的な結論というのは、彼は判事の諸兄に馬鹿馬鹿しい訴えをしているか、決定がその時の行動ではなく今し方の話に基づいてなされるだろうと彼が考えているかのどちらかだからです。しかしクレオニスは勇気において私より劣っているだけでなく、まったくもって恩知らずでもあることが示されることでしょう。というのも、彼は自身の武勇伝を詳しく話すことを省いて私の行いを貶そうとしており、自分が栄誉で突出しているよりはむしろそれにしがみつこうとしている人間だと示すことになっているからです。彼は自分の命を救ってくれたことに最大の感謝をするだけの借りがある人から、羨望により彼自らの立派な行いによって得られる賞賛を取り去ってしまったのです。戦いで遭遇した危機にあって私は好運だったと私はすでに認めてきましたが、自分が勇気でも勝っていると主張します。現に、もし私が敵の攻撃を避けたがために無傷で帰ってきたのだとすれば、私を好運ではなく臆病だと呼ばわり、それどころか勇気への報償を抗弁せずに法の定める罰を受けることがより適切なことでしょう。しかし戦場で正面切って戦って自分に対峙した敵を殺していた時に私は他の者から傷つけられなかった以上、私が好運だっただけでなく勇敢でもあったというのが必然的な帰結です。というのも恐怖した敵が私の勇気に立ち向かおうとしなかったのであれば、彼らを恐れさせた私が大きな賞賛に値するでしょうし、そうではなく彼らが気力をもって戦い、それでもなお私が向かってきた彼らを殺しつつ同時に自分の身体のことを気遣っていたのだとすれば、私は勇敢であると同時に知恵があるということになります。それというのも捨て鉢になって戦っている時に穏やかな心で差し迫る危機に対峙する者は心身両方の点で二重の勇気を主張できます。さらに私が他の人たちに対して訴えている主張は以下のようなものであります。動けなくなったクレオニスを戦場から市まで運んできた時の私自身は自分の武器を持ち続けていた以上、私は自分の判断では自分の主張が正当だと認めるものです。なおもありうることですが、その時に私が彼に注意を払わなければ、彼が今勇気の報償を私と争うことはなかったでしょうし、その時までに敵は戦場から退却していたために私がした大仕事は何もないと彼は主張することにより、私が彼に示した大きな親切を毀損することもなかったでしょう。なるほど戦場を去った軍勢が取って返して攻撃を再開し、この種の戦術を使うことで勝利を得るという手を何度も使ったことがあるということを誰が知らないというのでしょうか? しかしこれ以上の言葉は必要だと思われないので、私としては話はこれで十分です」
 これらの演説の後、判事たちは全会一致でアリストメネスに投票した。
13 ラケダイモン人は熱意を取り戻した。というのも男らしい美徳と若さ故の勇気を持って振る舞えば、運命の何らかの変転が彼らを打ちのめすことがあっても、短い演説で義務の念を取り戻せるようになるだろうから。他方でメッセニア人は熱意を持てず、いやむしろ自らの勇気に自信を持てず……〔欠損〕
 ラケダイモン人はメッセニア人によって最悪の状態に陥ったため、デルフォイに伺いを立てた。そして巫女はこう答えた。
それは戦いの業のみならず
汝らがフォイボスの命で精を出すべきことは。
策略によりてメッセネの民と地は手にされ、
同じ企みによりて
勝利もまた得られん。
 その考えは武力の行使のみではなく、策略の行使により……〔欠損〕
14 ローマの王ポンピリウスは生涯を通じて平和に過ごした。ある著者たちは、彼がピュタゴラスの弟子で、彼から神々への礼拝に関する訓示を受けて他の多くの事柄でも指導を受けていたと述べている。このために彼は令名高い人物になり、ローマ人によって王に立てられたという。
15 我々がどれほど望んでも、神を相応しい仕方で崇める力は我々にはない。したがって、我々が己が力に応じて進んで感謝を示すつもりがないとすれば我々は悪人が避けて逃げるような方々に刃向かうことになるのを理解したとすれば、我々には来たるべき生についていかなる希望があろうか? 要するに、終わりのない褒美と終わりのない罰の両方を与える力を持つ方々について、彼らの怒りを買わずにその好意を不滅のものとすることを我々は理解すべきであることは明らかである。というのも不敬虔な人の生と敬虔な人の生の間の差異はあまりにも大きいため、両者が祈りの成就を神に期待したとしても、前者は自分のことの成就を期待し、後者は敵の成就を期待することになり……〔欠損〕。もし我々が神殿に逃げ込んだ敵を助け、敵対者に対して害を及ぼさないと誓ったならば、我々は神々ご自身にどれほどの熱意を示すことになり、誰がこの敬虔な人にその存命中のみならず死後にも寛大さを示してくれるのであろうか? そしてまた、もし我々が秘儀に信頼を寄せるならば、永遠の幸福と名声を用意してくれるのは誰であろうか? したがって我々が神々への然るべき栄誉に関してこの上なく熱心になっているのは、現世の生に関する事柄においてではない。
 我々の結論は、勇気と正義とその他全ての人間と他の動物たちの徳が獲得されてきたが、神々自身が全ての面で死すべき者どもより優れているのと同じように、神への崇敬は他の全ての徳を遙かに凌ぐ、というものである。
 神への崇敬は私生活では人々にとって望ましいものである一方で、国家にとってはなお一層相応しい。というのも国家は不死なる者により近似しているため、神々に似た自然本性を持っており、かなりの長さで続くものである国家はそれらが値する報償、即ち崇敬への報償としての統治権、神の軽視への罰を期待できるだろう。
16 メディア人の王デイオケスは甚だしい無法状態が蔓延っていたにもかかわらず正義とその他の徳を実行した。
17 生まれからいえばアカイア人のミュスケロスはリュペスからデルフォイへと行き、子供を儲けることについて神に伺いを立てた。ピュティア巫女は彼に以下のように答えた。
ミュスケロス、背の短き〔彼は猫背で知られていた(N)。〕、愛しき人よ
彼についてはアポロンでさえ動くのは彼方、
彼の神は三人の子を与えん。されど先に命ずるは
偉大なるクロトンの建設
これを美しき原野の真ん中に。
 そして彼はクロトンが何を示すのか分からなかったため、ピュティア巫女は二つ目の答えを授けた。
遠くに放つ者〔アポロンを指す。〕は自ら汝に今語らん、
心に留めよ。ここはタフォス島にあり、
鋤で触れられたことはない、そこにカルキスがあり、
そこにクレテス人の家、聖なる土があり、
そこはエキナデスの諸島にある。
島々の左には強き海。
この道で汝がラキニアの頭〔おそらく南伊のターラント湾西岸のラキニア岬を指す。〕を見失うことはなく、
それは聖なるクリミセ〔ギリシア人が建設したカラブリアにあったクリミッサという小都市のことか。〕でもなく、アイサロス川〔クロトンの北を流れる川。〕の流れでもなく。
 神託がこのようにしてミュスケロスにクロトンを建設するよう命じたものの、彼はシュバリス領への敬服のためにそちら〔シュバリスの近くということであろうか〕に都市を建設したかった。そこで次のような神託が彼に下された。
ミュスケロスよ、背が短き者よ、物事を探すにあたりて
神の命令よりも他のものを汝は空しく探し
されど涙を浮かべる。神が与えたもうた贈り物を良く思え。
18 シュバリス人は自らの胃の奴隷であり贅沢の愛好者だった。贅沢にあまりにも熱中するあまり余所の人々のうちではイオニア人とテュレニア人がお気に入りで、それというのも無節制な生き方において前者は他のギリシア人を凌駕し、後者は他の夷狄を凌駕していたと彼らは考えていたからだ。
 伝えられるところでは、ある金持ちのシュバリス人が、彼が人が働くのを見て吹き出してしまったということを何人かの人たちが言っているのを聞き、そのシュバリス人はそのようなことに驚かないで欲しいと話し手に頼んだ。曰く 「というのも私はそのことを聞いただけで、わき腹を針で突かれたのだから」他のシュバリス人については、スパルタに滞在した後に彼はスパルタ人の武勇に常々驚かされたが、彼らが送っている質素さと実に惨めな生活ぶりを目撃した後には彼らが最下層の人たちよりも良いというわけではないという結論しか出せなかったと言われている。曰く「というのもこの上なく怯懦なシュバリス人は彼らのような生活に耐えるくらいなら三回死ぬ方を選ぶだろう」と。伝えられるところでは、彼らの中のある人は最大の贅沢に耽り、ミンデュリデスの名で知られている。
19 ミンデュリデスは贅沢さで他のシュバリス人を上回っていたと言われている。シキュオンの僭主クレイステネスが戦車競争で優勝した後、ずば抜けて美しい少女だと思われていた彼の娘を娶るつもりがある者は彼の母国に集まるよう宣言した時、伝えられるところではミンデュリデスは自家の奴隷、漁師、その他の家来たちを漕ぎ手として使った五〇本の櫂がついた船でシュバリスから航海してきた。シキュオンに到着すると、彼は好運が彼に許した設備において競争相手の求婚者のみならず、その都市全体を挙げてこの機会のために熱心に準備していたはずの僭主自身をも上回った。到着後に開催した晩餐会ではある人が食卓のミンデュリデスの傍でくつろごうとして近づくと、後者はお触れに則って自分はここにいるのであり、貴婦人と一緒にか自分一人でくつろぐつもりだと言った。
20 ミレトス人は贅沢暮らしをしていた。彼らのもとを訪れたあるシュバリス人は自分の生まれた都市に戻った後、他の事柄も仲間の市民たちに話したが、とりわけ自分は家に不在の際にミレトス人の都市たった一つしか自由な都市を見なかったと述べた。
21 エペウナクタイ〔スパルタは第一次メッセニア戦争で多くの男子の市民を失ったため、ヘロットたちに市民権を与えて戦死者の未亡人と結婚させ、子供を儲けさせることで市民の人口を回復させようとした。エペウナクタイとはこのヘロットを指す。後述の「パルテニアイ」はこうして生まれた子供たちを指す。〕はアゴラでの蜂起をファラントスと合意し、すぐに完全武装のファラントスは自分の額に兜を被った。しかしある人が起こるべきことを監督官らに暴露した。監督官の大部分はファラントスを殺すべきだと信じたが、彼の愛人になっていたアガティアダスはこう言った。もし彼らがそうすればスパルタを最大の内戦へと陥れることになり、たとえそれで勝利しようとも無益な勝利になり、敗れれば祖国を滅ぼす羽目になる。したがってファラントスは兜を持ったままにさせるべしと触れ役が公に宣言すべきである、と彼は勧めた。事はこのようになされ、パルテニアイは計画を放棄して和解を模索し始めた。
 エペウナクタイはデルフォイに使節団を送り、神がシキュオンの領地を与えてくれるかどうか神に伺いを立てた。巫女はこう答えた。
コリントスとシキュオンの間の平地が良い。
されどそこは汝の住まいにあらず、されど汝は覆われる
青銅によりて。汝は注意せよ、サテュリオンと
タラスの煌めく流れ、左の港、
そして山羊が喜びつつ
海の潮の香りを嗅ぎ、灰色の髭の先を濡らす地を。
そこで汝はタラスを固く立てる
サテュリオンの地に。
 この答えを聞いた時に彼らはそれが何のことか理解できなかった。そこで巫女はより平易に語ってみせた。
サテュリオンは汝らが住むべき汝らへの我が贈り物
タラスの肥えた土地も然り、
イアピュギアの人々の破滅となるもの。
22 アテナイのアルコンのヒッポメネスは見知らぬ人に乱暴された娘に残忍で異常な罰を要求した。彼は彼女を小さな小屋に馬と一緒に閉じ込め、数日間その獣に食べ物を与えず、その馬が空腹からそこに投げ込まれた少女の身体を食べるよう強いた。
23 ゲラを建設したアンティフェモスとエンティモスの両人はピュティア巫女に伺いを立て、以下のような答えを得た。
汝エンティモス、クラトンの素晴らしき息子よ
聡明なる汝ら二人シケレ島へ行け、
その麗しき地に住め、そこに汝ら立てよ
都市を、クレタとロドス、平たいゲラの人らの祖国を、
聖なる川の河口に、
その名を都市にもつけよ。
 アポロンに奉納された十人目のカルキス人〔ストラボン(6. 1. 6)によれば、穀物の欠乏のために十人中一人のカルキス人がアポロンに奉納されていたという。〕が植民地に送ることについて伺いを立てるべく神のもとにやって来ると、彼らは以下のような解答を受けた。
最も聖なる川、アプシアは流るる
海へと、そして海に入る
女は男と結婚し、汝そこに都市を立てる
アウソンの地が汝への贈り物。
 そして彼らはアプシア川の岸で、野生のイチジクの木に絡みついたブドウの木を見つけ、そこに都市〔レギオン市〕を建設した。
 彼は大声を上げて「死すべき生と引き換えに不滅の栄光を手に入れるつもりの者はいるか、最初に『私は国の安全のために命を捧げる』と言うのは誰だ?」と叫びながら通った。
 一度ある取るに足らない者が郊外へと向かう途中のその男と会い、都市の建設にあたって超常現象が起こったかどうか彼に尋ねた。そしてその者はロクリスの行政官らから罰金を科されており、そのために彼らは正義を守る意志を持った。
24 シキュオンの住民はピュティア巫女から彼らが一〇〇年間「鞭によって支配される」という神託を受けた。彼らがさらに鞭を振るうのは誰だと尋ねると、それは彼らが上陸した後、その者が息子を儲けたと最初に耳にする人だと彼女は再び答えた。この時にアンドレアスという名の料理人が生け贄の面倒を見るためにその使節団にたまたま同行していた。彼は行政官たちに雇われて鞭を振るう仕事をしていたのだ。
25 トゥルス・ホスティリウスがローマ人の王だった時、アルバ人はローマ人の勢力の増大を疑いの目で眺めて彼らを貶めようと望んだため、ローマ人が自分たちの領土で強奪を働いたと言い立ててローマ人に裁判を要求する使節団を送り、ローマ人が彼らの言うことに耳を貸さなければ宣戦するつもりだった。しかしローマの王ホスティリウスはアルバ人が戦争の口実を求めているだけだと知ると、彼の友人たちに使節団を受け入れて賓客としてもてなすように命じた。彼はというと、使節との会談を避けるためにアルバ人に似たような要求を訴える人たちを送った。彼はこれを古い流儀に則って行ったわけであるが、それというのも昔の人たちは自分たちが行う戦争が正当なものであること以外には関心を持たなかったからで、強奪の下手人を見つけることができず、彼らが要求した人たちを彼らに引き渡すことができなければ自分が不正な戦争に突入することになるのではないかと彼は用心していたからだ。しかし好運にもアルバへの使節団が最初に正義を拒絶され、それゆえに彼らは続く三〇日目に宣戦した。したがってアルバ人の使節団が要求を提示すると、アルバ人が最初に正義を拒絶したためにローマ人は彼らに宣戦したという返答を受け取った。これが婚姻と友好の相互の権利を享受していたこの二つの民が互いに争うことになった理由だった。
26 より前の時代、ラテン人を出自に持つローマ人は公式の通達抜きで人に戦争を仕掛けることはなかったが、合図として彼らはまず槍を敵対する人たちの領土に投げて、その槍が戦いの始まりを示すことになった。これを行った後に彼らは人々への戦争を開始した。これはディオドロスが述べていることで、ラテン人の事柄について書いた他のあらゆる著者もそうである。
27 スパルタ人はメッセニア人の手で敗北を被ると、デルフォイに手紙を送り、神に戦争についての忠告を求めた。彼らはアテナイ人から指揮官を迎えよと言われた。
 テュルタイオスの霊感の下でラケダイモン人はより戦いに熱意を持つようになり、戦いへと赴く段になると彼らは小さい棒に名前を書いて武器に固定したが、それは死んだ時に縁者に身元が分からなくならないようにするためだった。こうして彼らは勝利を掴めずとも栄光ある死を喜んで受け入れた。
28 キタラの音に合わせて歌を歌うテルパンドロスはメテュムナの生まれだった。かつてラケダイモン人が内戦に陥った時、メテュムナのテルパンドロスがキタラの伴奏に合わせて彼らのために歌えば、彼らが再び和解することになるという神託が彼らに下された。現にテルパンドロスは芸術家の技術を使って彼らのために歌を歌い、ディオドロスが述べているように、調和の取れた歌で彼らの間に再び調和をもたらした。事実、彼らは完全に心変わりをし、互いに抱擁し合って涙を浮かべながら口づけをした。
29 バットスとも呼ばれるアリストテレスはキュレネ市を建設しようと望み、以下のような神託を受けた。
おおバットスよ、汝は声を上げた。
されどフォイボス、まさしく主アポロンは汝に送った
麗しき冠被りしリビュアを、支配せよ
広きキュレネを、享受せよ
諸王のため取っておかれたその地を。そこの夷狄の武者どもは
獣の皮を被り、汝に襲いかかる
それは汝がリビュアの土に足をつけし時のこと。
しかれどクロノスの息子、パラスに祈れ
戦いへと奮起させ、目を輝かせるそのお方に、さらに
ゼウスの息子にして永久の若者フォイボスにも祈れ、
そして彼らの手のうちに勝利はある。
麗しき冠被りしリビュアを汝は支配し、
汝と汝の家に恩恵あらんことを。汝をそちらに導くは
フォイボス・アポロンなり。
 というのも自然的な嫉みが成功を待ち受けており、このために名声で秀でた人の破滅をもたらすからだ。
30 キュレネ人の王アルケシラオスは自らの悲運を強く訴え、デルフォイに伺いを立てて以下の返答を受けた〔6世紀の中頃のことであるが、ヘロドトスによればキュレネの王アルケシラオス2世が弟たちと対立した結果、弟たちはバルケという町を作って分離して近隣のリビア人をキュレネから離反させた。アルケシラオスは戦いに勝利したが、弟のレアルコスに暗殺され、さらにこのレアルコスもアルケシラオスの妻に殺された。その後にアルケシラオスの息子バットスバットス3世が王位につき、彼はどのような国制を採れば良いかという伺いをデルフォイに立てた、とある(ヘロドトス, IV. 160-161)。〕。後々の王たちが最初の王バットスのような流儀で支配しないために神々は怒っている。というのもバットスは王の称号だけで満足し、公正な支配者であり、人々には親しみやすく、他方で神々に然るべき栄誉――これが重要なことだが――を捧げ続けていた。しかし後代の王たちの支配はますます僭主的な性質を帯びるようになり、彼らは公費を着服して神々の崇拝をないがしろにするようになった。
 キュレネ人の間で起こった内戦ではマンティネイアのデモナクスという仲裁人が現れ、彼は際だった賢明と正義で知られていた。したがって彼はキュレネへと航行し、公の事柄の管理権を全ての人から受け取ると、以下の諸条件で諸都市を和解させた〔ヘロドトスが伝えるところでは、デモナクスはキュレネの住民を三部族に分けた(ヘロドトス, IV. 162)。テラ出身の住民と土着リビア人で第一区、ペロポネソスとクレタ出身の住民で第二区、島嶼(エーゲ海の島々)の住民で第三区を構成させ、王の特権は王室御料地と祭司職だけを残し、他は全て人民の共有にした。〕。
31 ローマ人の王ルキウス・タルクィニウスは注意深い教育を受けており、自らが知識の熱心な追求者であることを示していたため、彼の徳は少なからぬ賞賛の的となった。というのも成人に達した時に彼はローマの王アンクス・マルキウスと交際して一番の親友になり、王国の多くの事柄の監督に当たって王を補佐した。非常な金持ちになったために彼は金を必要とした多くの人に金を送って助け、全ての人と親しげな態度で交際したために彼は非難を受けることなく生活し、知恵で名高かくなった。
32 ロクリス人〔南イタリアのエピゼヒュリオイ・ロクリス人〕はスパルタに戦争での加勢を求めた。しかしラケダイモン人はクロトンの住民の強大な武力を聞き知っていたためにまるでなおざりにしているかのように、そしてあたかもロクリス人はラケダイモン人が提案した仕方でしか助けを得られないというかのように、自分たちはテュルタイオスの息子たちをロクリス人の同盟者として出すと答えた。使節団は神意の導きを受けてか、あるいはその返答を予兆とみなしたかしたために彼らが申し出た援助を受けることにし、生け贄で吉兆が出た後に彼らはディオスクロイのために船に長椅子を用意し、母国へと帰った。
 息子たちが夷狄の手で言語を絶する苦痛を受ける様を見ても彼らが助けを寄越さず、灰色の髪を涙で濡らして運命の女神の聞こえにくい耳に悲嘆を向けることしかできなかった時、彼らに同行した父たちはどう感じたのか?(と彼は問うた)




戻る