37巻→ディオドロス『歴史叢書』38・39巻(断片)→40巻

1 ローマ人はキンナに和平のために使節団を派遣した。キンナは「俺は執政官としてローマを去ったが、私人として戻るつもりはないぞ」〔ルキウス・コルネリウス・キンナは紀元前87年の同僚執政官グナエウス・オクタウィウスとの対立・抗争の末にローマを追われたが、その後キンナは亡命中のマリウスと手を組んでローマに乗り込んでローマを手中に収めた(プルタルコス, 「マリウス」. 41-42)。以下4章まではこの事件に関する記事である。〕
2 メテルス〔クィントゥス・カエキリウス・メテルス・ピウス。36巻16章に出てきた息子のメテルスと同じ人物。この政変では最初はオクタウィウスに与していたが、後に対立してローマを去った。〕は手元にあった軍勢を連れてキンナの陣営に近づいた。対談の後に彼らは、キンナは将軍として留任し、メテルスはこの称号を承認される最初の人となることで合意したが、後に彼らは彼らのしたことを互いに責め合った。マリウスがキンナと会うと、自分たちはほぼ勝利している以上は神が彼らに認めた権力を手放してはならないとマリウスは言い放った。メテルスはローマに帰ってくると、執政官と祖国に対する裏切りの廉で彼を告発したオクタウィウスと激しく争った。オクタウィウスは自分はキンナがローマの絶対的支配者になることを決して許すつもりはなく、皆から見捨てられようとも自らの同士と共に彼の命令権に相応しく振る舞うつもりだと言った。最期に彼は、希望が絶たれれば自分は家に火を放ち、自信とその財産を炎に委ね、自由な人間として雄々しく死ぬつもりだと言い添えた。
3 執政官職に復帰するという条件でキンナが和平に同意すると、キンナの代わりに執政官に指名されていたメルラ〔ルキウス・コルネリウス・メルラ。紀元前87年のキンナ追放後に彼の代わりに執政官に就任した。〕は自らが良き市民であることを示し、偉大な愛国心を証明した。彼は元老院と平民たちに話しかけて最も公益に適うであろうことを述べ、自分が調和を促すことを約束した。彼は自分の意志に反して執政官に選ばれていたため、自分から、今や自由にキンナの手に権威を手渡すつもりだと明言した。そこで元老院はキンナに使者を送り、和平の条件について合意すると、執政官として彼を都市〔ローマ〕へと帰国させた。
4 キンナとマリウスは主要な指導者たちの委員会を招集し、平和を打ち立てて確固たるものとするための対策と処置を諮った。最終的に彼らは敵対者のうち、最も自分たちへの挑戦者となりそうな最も秀でた人たちを殺すことを決意した。こうして自派が敵から清められた後、彼らとその友人たちは自分たちの思い通りに好きなようにより確かに将来を決定できるようになった。そこで彼らは以前の協定と合意を全て反故にし、人々は正義に訴えることなく禁令を受け、方々で殺戮された。その時、キンブリ族に対する勝利で栄誉ある凱旋式を開催し、ローマの人々の間で非常に令名高かったたクイントゥス・ルタティウス・カトゥルスが重罪の廉で護民官によって告発された。告訴から来る途方もない危険を恐れたために彼はマリウスに近づいて放免のために取りなしてくれるよう懇願した。以前は友人だったが、何らかの嫌疑のために今は懇意ではなかったマリウスは彼の敵となり、ただ単に「お前は死なねばならん」と返した。これに対してカトゥルスは、自分には生存の希望がないことを悟り、不名誉を被ることなく死のうとした。彼は奇妙で尋常ではない方法で自殺した。というのも彼は新しく漆喰を塗った家に閉じこもって火を点し、この煙と石灰から出る霧状の蒸気で窒息死したからだ。
5 スラの執政官職の時にローマで勃発した内戦のことは(リウィウスとディオドロスによれば)多くの兆候が告げていた。空に雲一つない青天の時に鮮明で悲しげなラッパの音が鳴り響き、それを聞いた者は皆恐怖に襲われた。エトルスキ人の占い師たちは、このきざしは人間世界の革命を告げていると断言した。彼らはこう言い添えた。人間には八つの異なった種族がおり、彼らは性格と生き方で異なっている、と。神はそのそれぞれの種族にどれだけ長く偉大な時代を持てるかを割り当てた。この時代の終わりと次の時代の始まりに際しては、地上であれ天上であれ驚くべき兆しが現れ、この兆しから賢者たちはすぐに一つの人種が異なった性格と生き方で興隆し、神々は前ほど彼らを愛顧しなくなったことを知る。これが真実であるか否かについて私はここで議論するつもりはない。
6 市民の殺戮と他の人たちへの暴力の後にキンナとマリウスは神の報復ですぐに罰せられることとなった。唯一残った彼らの敵対者だったスラはボイオティアでミトリダテス軍を壊滅させ、アテナイを陥れ、ミトリダテスと条約を結んだ。それから彼はミトリダテスの艦隊を引き継いでイタリアへと戻った。非常に短期間のうちに彼はキンナとマリウスの軍勢を撃破し、ローマと全イタリアの支配者となった。彼はキンナの血に飢えた支持者たちを皆殺しにし、マリウスの家族を撲滅した。多くの分別をわきまえた人たちが、実に多くの殺人犯への罰が神の配慮で課されたものだと考えた。そのような罰は不敬虔な道を歩む人への役に立つ見せしめであり、彼らを悪から転じさせるよう促すものであってしかるべきである。
7 多額の金を必要としていたためにスラは、金銀が奉納されていたデルフォイのアポロン神殿、エピダウロスのアスクレピオス神殿、オリュンピアの有名なゼウス神殿という三つの神殿を略奪した。これらの最後のものから彼はかつて冒涜されたことのなかった大量の宝物を運び出した。しかしデルフォイの神殿については、神聖戦争の時期にフォキス人がその富を使い果たしていた。したがってスラはこのようにして金銀その他の宝物をを山と積み上げると、これをイタリアでの戦争を行うために軍資金として存分に使った。しかし畏敬の念も宗教に関する良心の咎めもなく神殿で強奪を働きつつも、彼は金の代わりに毎年の収入を提供するために神々に土地を寄進した。向かってくる者全てに自分が勝利することは確実である、それもこれも自分はこれほどの多額を資金として与えてくれた神々の加護を得ているからだ、と彼はしばしばふざけながら言っていたという。
8 フラックスを追い越したフィンブリアはフラックスの行軍よりも遥か先まで先行し、自分は今やある大胆な冒険を実行する最高の好機を得たのだと考えた。したがって兵士たちの支援を得るべく彼はあたかも敵地であるかのように同盟諸国の土地を略奪して出会う者を捕まえることを彼らに許した。兵士たちはこの自由を実に頗る活かしたため、数日の間に略奪で膨大な富を蓄積した。しかし財産を分捕られた人たちは執政官のもとに向かい、自分たちが受けた被害について激しく苦情を申し立てた。起こった出来事に大いに悩んだ執政官は彼らには自分に従うよう指示し、被害を受けた誰もが損害賠償を受けるべきだと了解していた。したがって彼はフィンブリアに元の所有者に対してただちに分捕った者を返還するよう脅しつつ命令した。あたかも兵たちが自分の許しなくしでかしたかのようにフィンブリアは兵士に全ての責任を帰した。しかし彼は密かに兵士たちには執政官の指示には従わないよう勧め、武力と戦争の法によって獲得したものを保有するのを許し、手放さないようにさせた。したがってフラックスは自らの権柄での脅しを加えつつ強奪品の返還を行うよう命令すると、兵士たちは従うのを拒み、隠して大騒擾と反乱が軍内で起こった。
 フィンブリアはヘレスポントス海峡を再び渡ると、兵たちに強奪とありとあらゆる乱暴狼藉を働くよう助長した。彼は諸都市から金を徴発して兵士たちに分配し、行動の統制を失った彼らは望むことは何であれする力を持つようになった。多額の利益への期待に吊られた彼らは、窮極的には全軍を動かすに相応しい人物だとしてフィンブリアを大いに愛した。その上彼は刃向かったいくつかの都市を占領すると兵の略奪に委ね、このようにしてニコメディアを兵の略奪に任せた。
 同じフィンブリアはキュジコスへと友人として来たと称した。しかしそこに入るや否や彼は最も金持ちの市民たちを弾劾して反逆罪の廉で訴追し始めた。他の人たちを怯えさせるため、二人に判決を下した後に彼は杖で叩かせ、そして処刑した。それから彼は彼らの財産を取り上げ、この二人の死によって他の人たちに恐怖を染み込ませ、彼らは身代金として全財産を彼に渡すことを余儀なくされた。
 瞬く間にフィンブリアは望む全てを行う力を不敬虔な仕方で手に入れた人から予想できるありとあらゆる悲運で属州を混乱に陥れた。彼は暴風雨のようにフリュギアを荒して諸都市へと吹きつけ、会う者全てを打ちひしいだ。彼が自殺すると、彼が原因となった多くの死へのつけを彼一人の死によって支払うこととなった。
9 グナエウス・ポンペイウスは軍人生活に専念しており、戦争の苦難で自らを鍛え上げたため、瞬く間に軍事の熟練者と認められるようになった。全ての怠惰と無精から手を切り、彼は常に朝な夕な戦争の遂行に有益なことをしていた。彼の飲食は非常に質素で、座ったままものを食べ、入浴とその他の贅沢な行いを慎んだ。彼の眠りは自然が要求するよりも短く、日中に直面した厄介事に関連する事柄や、将軍に関する事柄で夜の残りを費やした。このために戦争での不確実な出来事に対する習慣的な備えによって彼は軍事行動では最も上手く事を行えるようになった。したがってすでに動員された軍を管理するのに他の者が要する時間よりも短い時間で彼は軍を一から動員して訓練し、規律を打ち立てた。彼の目覚ましい功業の知らせがローマに届くと、当初は彼の勇気よりも彼の若さを考慮したため、伝令たちが大げさに説明しているだけだと誰もが思った。しかし彼らの報告が出来事の明らかな証拠で裏付けられると、元老院は彼にユニウスを差し向け、このユニウスをポンペイウスは敗走させた〔キンナ死後に平民派の衣鉢を継いだグナエウス・パピリウス・カルボとスラとの内戦でポンペイウスはスラに味方し、紀元前82年に父以来の根拠地ピケヌムからローマへと進軍した。これに対してローマで執政官だったカルボは同年の法務官ガイウス・カリナスとルキウス・ユニウス・ブルートゥス、紀元前94年に執政官を務めたガイウス・コエリウス・カルドゥスにそれぞれ軍を預けてポンペイウス討伐に送り出した。ポンペイウスが戦いでユニウスを破ると、彼ら三将は逃げ出した(プルタルコス, 「ポンペイウス」, 6-7)。〕。
10 グナエウス・ポンペイウスは彼の徳への当然の報償を得て、勇気での名声を得た。彼は以前の功績に相応しい振る舞いを続け、スラに自らの権勢の増大を手紙で伝えた。スラは多くの理由を挙げてその若者を賞賛し、彼と一緒にいた元老院議員たちを非難しつつもそれと等しい熱意で彼らを激励しつつ叱った。まだほんの若者であるポンペイウスが大軍を敵からひったくったが、彼よりも年長で名声で優る者たちが信頼できる同盟者の中に彼ら自身の奉仕者を維持することすらほとんどできていないことに驚いているとスラは述べた。
11 ウティカ総督ハドリアヌス〔ガイウス・ファビウス・ハドリアヌス。紀元前84年の法務官。〕はウティカの人々に生きながら焼き殺され、これは死刑相当の罪だったにもかかわらず、この犠牲者はあまりにも悪辣に振舞っていたために何の罰も結果として生じなかった。
12 マリウスの息子で執政官のマリウスが戦争へと乗り出すと、法で定められた通りすでに軍務適齢期に達していた多くの者がこの若者に加勢すべく自発的に志願した。彼らの方が年長だったため、彼らは自らの軍事訓練と戦いの経験、そして戦争での他の危機の数々を通して成し遂げたことを年少の者たちに示そうとやる気を出した。
13 イタリアの諸都市と民族の中でマリウスとスラの態度を探るべく数多くの厳しい調査と努力が行われた。したがって彼らはうわべだけの忠誠を一方から他方へと移して誰であれ賞賛するのを余儀なくされた。しかしそれぞれの派閥のために兵を挙げる責任を持った人たちはいつも決まって互いに競い合い、厳しい調査で彼らは諸都市に自らの本当の意見を明らかにするのを強制した。
14 必要な糧秣の欠乏のためにマリウス〔父の方のマリウス。〕は兵たちから見捨てられた。シケリア総督のマルクス・ペルペンナだけが彼への忠節を守り続けた。スラは彼に使者を送って自分の派閥に加わるよう訴えた。しかしペルペンナはこの招聘を受け入れるどころかマリウスへの強い敬慕の念を保ち続けた。彼はシケリアからイタリアへと全軍を連れて渡ってマリウスをプラエネステから救出してやるぞと脅した。
15 今やマルシ戦争が終結しつつあったが、もう一つの大乱がローマでスラと七回執政官になったマリウスの息子の若ガイウス・マリウスによって引き起こされた。最終的にスラが勝利するまでにこの抗争で何万人もの兵士が失われ、独裁官に任命されると彼はエパフロディトス〔フェリクス〕と自ら称した。この鼻高々の称号は完全に不適当なものというわけではないものだったが、それというのも彼は自分の全ての戦争で成功し、勝利の後に自然死できたからだ。しかしスラとの戦争で見事な勇気を発揮したにもかかわらずマリウスは最終的に敗走し、プラエネステへと一五〇〇〇人の兵を連れて逃げ、そこで長期間の包囲を受けた。ついに完全に見捨てられて逃亡の手段を失うと、彼は自らの忠実な奴隷の一人に自らを囲む不運を終わらせるのを介助してくれと必死に懇願するまでになった。大変な説得の後にその奴隷は一撃で主人の命を絶ち、自らもすぐに後を追って自殺した。そしてついに内戦が終わった。しかしマリウス派の残党は他の者たちのように鎮圧されるまで長らくスラの悩みの種であり続けた。
16 買収されていたスキピオ軍はスラに寝返った〔ミトリダテス戦争を終えてイタリアに攻め込んできたスラをスキピオは迎え撃とうとしたが、兵士たちはスラになびいたために戦わずして敗れた(プルタルコス, 「スラ」, 28)。〕。スキピオ〔ルキウス・コルネリウス・スキピオ。紀元前83年の執政官。〕は自分は運の尽きだと考えたが、スラは彼の騎兵の一部隊を彼に送って彼が望む所ならどこであれ好きに行かせた。したがって彼が一時権威の印を手放すのを余儀なくされた後、彼はスラの厚意で一市民として彼が選ぶ土地に送られた。しかし間もなくスキピオは権威の印を再び得て、今一度大軍を連れて進軍した。
17 その一方でローマで最も秀でた人たちはでっち上げの訴状で殺された。市民の中で最高の名声を博していた最高神祇官スカエウォラでさえ相応しからぬ最期を迎えた。ローマ人が好運だったのはこの尊敬すべき祭司が最も聖なる領域〔ウェスタの神殿(N)。〕へは退かなかったことだけだった。殺人者たちの残忍さの甚だしさたるや彼を他ならぬ祭壇の上に乗せて喉を切り裂くほどであり、このために宗教的信仰から昔から絶えず燃やし続けていた炎を彼自身の血で消すことになった。
18 良き人たちを讃え、質の悪い人たちを叱責することは他の人たちの立派な行動を促進する最も効果的な方法である。
 良い計画をすることができてその決定を行動へと移せる人たちは……〔欠損〕
19 公権剥奪者の一覧がフォルムに掲示されるやすぐに多数の市民がそれらを読むために群がってきた。彼らの大部分はこうして死を宣告された人たちを憐れんだ。しかし彼らの中にいた最も意地悪で横柄な気質をしたある者は危害を受けた人たちの嘆かわしい運命を喜び、彼らへの悪意ある言葉を叫んだ。それらは神の怒りを買い、間もなく正当な報復が彼に加えられた。というのも彼は一覧の末尾に公権剥奪者として自分の名前が載っているのをたまたま見てしまったからだ。彼はこうすれば捜索を免れて安全に脱出できると期待して頭を覆い、群衆の最も密集しているところを通って走り去ろうとした。しかし近くに立っていた誰かが彼を彼だと認め、彼が判決を下された一人だと暴露した。彼はたちまち取り囲まれて捕まって殺され、それを聞いた誰もが大喜びした。
20 ポンペイウスはシケリアから長らく正義が奪われていたのを見て取ると、自ら法廷の仕事に乗り出した。彼は公私の争議を決裁して甚だ勤勉且つ正直に職務を果たしたため、誰もこれ以上賞賛されなかったほどの賞賛を受けた。彼は弱冠二二才という愚かしい若気の至りの快楽に逸れるような人生の時期だったにもかかわらず、シケリア滞在を通して沈着且つ冷静に振る舞ったため、この若者の徳は全シケリア人から多大なる賞賛を受けた。
21 夷狄のスパルタクスが彼を助けた人たちに感謝を示した。というのも自然は夷狄すら教育なしに恩人への適切な報恩の念によってお返しへと人を導くものであるからだ。
22 戦いを通して得られた勝利は兵士と彼らの指揮者の双方に栄誉をもたらすが、将軍の技量によって得られた成功は将軍一人に名を成さしめる。
 夷狄の止めることのできない欲求は彼らをローマ人からの離反へと促した。
22a セルトリウスは現地人がこの方向〔セルトリウスからの離反〕に向かうのを止めようとしても如何ともし難いことがないことを見て取ると、同盟者に対して苛烈な処置を行った。彼はある者は告発の後に殺し、他の者は監視下に置き、最も裕福な者たちの財産を没収した。彼は大量の金銀をこのようにして集めたにもかかわらず、それを共用の軍資金に充てずに自分のためにとっておいた。彼はそれを兵士への給料支払いに使ったり指揮官らと分け合うこともしなかった。彼は執政官や相談役に大逆罪の裁判に参与することを許さず、自分でそれらの案件を聞いて自分一人の判断で判定を宣言した。彼は食卓を共にするために指揮官らを恥を忍んで招くことはせず、友人たちに親切さを見せることもなかった。概して彼の権力が弱まってきたために彼は苛烈になり、皆に対して僭主のように振る舞った。その結果、彼は一般人民から憎まれ、彼の友人たちによって陰謀が企てられた。
 彼の暗殺は以下のようにして行われた。彼の指揮官らのうち最も影響力のあるペルペンナとタルクィティウスは相談し合ってセルトリウス殺害を決意したが、それは彼が暴君になったからだった。ペルペンナが陰謀の指導者に選ばれ、彼はセルトリウスを晩餐に招くと同時に陰謀の同士たちの食事への参加を確かなものとした。セルトリウスが到着した後に陰謀参加者たちは彼を攻撃し、彼の長椅子の両側に陣取っていたタルクィティウスとアントニウスによって彼は殺された。
22b ミトリダテスに対する陰謀の結果、彼はキュジコス人にあわや捕らえられそうになった。この計画は坑道堀りの仕事に加わっていたローマのある百人隊長によって仕組まれ、その場所では双方が坑道を掘っていたために彼らは頻繁に遭遇しては互いに話すことさえあった。そしてその出会いから彼は王の兵たちから知られるようになった。一度、彼が坑道で捕まった時に敵の一人が同盟者を裏切るようしつこく勧め、彼はその提案に賛同したふりをした。これを知ると、王はその都市を占領しようと望んで褒美を約束して裏切りの打ち合わせのための時間を取り決めた。そのローマ人は同意の担保を求めたため、王はその件を落着させるために部下たちを送った。しかしそのローマ人は王が直々に誓約をしないことには同意を信用できないと言った。ミトリダテスは坑道に下ってくるのは王の沽券に関わると考えた。しかしこの裏切り者はそうしなければ協力はしないと言い、ミトリダテスはその都市を占領しようと非常に躍起になっていたためにその要望を飲まざるを得なかった。その結果、陰謀を正しく疑って坑道に一細工して速やかに開閉できる装置をつけていた友人の一人に守られていなければ王が捕らえられていたところだった。これが坑道の中に配置されてミトリダテスとその友人たちが来ると、百人隊長は…〔欠損〕…王を捕らえるべく彼を助けようとした者たちは剣を抜いて王に襲いかかった。しかし丁度王は門を閉ざして危機を脱出した。




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