29巻→ディオドロス『歴史叢書』29巻(断片)→31巻

7 .1 ローマ人(の使節たち〔英訳者による補い〕)が武器に訴えることなくペルセウスを出し抜いたことを報告すると、元老院議員の一部は彼らを称えようと動いた。しかし老人たちにはなされたことを誉めようという気はさらさらなく、ローマ人はフェニキア人の真似をするようになるべきではないし勇気よりもごまかしで敵を上回るようではいけないと言った。
1 同じ日に元老院は対ペルセウス戦争を宣戦し、彼の使節たちがその場で聞いていたにもかかわらず返答をさせなかった。加えて元老院は執政官たちに平民会を前にして使節団とその他全てのマケドニア人はこの当日と三〇日以内にローマから退去すべしとの厳粛な宣言をするよう命じた。
2 エジプト王プトレマイオス〔六世〕は自分の祖先がコイレ・シュリアを領有していたことを知ると、不正な戦争から時間が随分経っていたために今こそは同条件でそこを取り戻せるだろうと期待し、彼の主張への支持を背景に戦争の大準備をした。これを知るとアンティオコス〔四世〕は、プトレマイオスが正当な理由なく戦争を仕掛けようとしていることの証人とするために元老院を召集させようとしてローマに使節団を派遣した。しかしプトレマイオスもまた弁明をし、コイレ・シュリアは彼の先祖のものであってそこがアンティオコスの領地になっていることは全ての正義にもとることだと知らせるために使節団を送った。また、彼はローマ人との友好関係を更新してペルセウスとの平和が得られるようにするべく使節団に指示した。
3 トラキア人の王コテュスは戦争にあっては活発に動き判断力に秀で、他の事柄では尊敬と友情に値する紳士であった。彼は頗る節度があって用心深く、全てのことのうちで最も重要なことは彼がトラキアの人々につきまとう悪徳から完全に免れていたということである。
4 カレストロンという小さい町の包囲の後、ペルセウスは住民を皆殺しにした。しかしおよそ五〇〇人がある砦に武器を持って逃げて〔これを追ってきたペルセウスに〕身の安全の保証を要求し、ペルセウスは彼らが武器を置くという条件での助命に同意した。彼らは合意された条件に応じたが、マケドニア軍は自らの意志かあるいは王の命令に従ったかして確約を受けた彼らを追跡して皆殺しにした。
5 エペイロスのカロプスは、対フィリッポス戦争の際に山脈を気付かれることなく越す道を教えようとしてフラミニヌスに水先案内人を送り、これによって奇襲的な進軍を行ってローマ軍がその峠を制圧できるようにした同名のカロプスの孫である。祖父のローマ人との友情のおかげで若い方のカロプスはローマで教育を受けて多くの際だった人々と歓待による結びつきを得た。しかし彼は途方もない悪漢で投機家で、最も評判高かったエペイロスの人たちのことをローマ人に対して中傷し、ひとたび自分に対して対立できる人をまごつかせることができればエペイロス全土の支配者になれると期待し、彼は彼らにでっち上げの非難を浴びせた。この結果、彼ら〔穏健派のケファロス一派のエペイロス人(N)〕は今やマケドニアに手紙を出してエペイロスをペルセウスに引き渡すよう要求した。
5a 執政官ホスティリウス〔紀元前170年の執政官アウルス・ホスティリウス・マンキヌス〕がローマからエペイロスに到着すると、ペルセウス党の主要人物であるテオドトスとフィロストラトスは彼を出し抜いて王に引き渡す陰謀を練った。しかし彼らがまだペルセウスを緊急に呼び寄せようとしていた時、疑いの念が起こったホスティリウスは夜に出発し、ペルセウスは到着が遅れたために彼を捕らえ損なった。
6 アブデラを包囲した時にエウメネスは強襲によってその都市を落とすことを絶望視し、アブデラ人の間で最も評判高く、二〇〇人の奴隷と解放奴隷を連れて要地を守っていたピュトンなる者に密書を送った。約束で彼を欺くことで彼らは彼の助けを受けて城壁内に入って市を落とした。裏切り者のピュトンは適度に褒美を貰いはしたものの自国の破滅の光景が心に浮かんでは残りの日々を絶望と後悔の中で過ごすことになった。
7.2 セレウコスの息子を暗殺して代わって自らも死ぬことになったアンドロニコスは彼の犠牲者と同じ運命を避けるためだけに無慈悲で恐るべき罪に進んで手を染めた。というのも権勢家のやることといえば友人を犠牲にして自分を危機から助かろうとすることだからだ。
8 賢明にもその時々に必要なことに常に油断を欠かさなかった元老院は恩恵の施しを見直すことにした。というのもペルセウスが予期せずして挑戦的であることを示して戦争を手詰まりになるまで延ばすと、多くのギリシア人は大いに希望を持ったからだ。しかし元老院は常に新たにしていたギリシア人への寛大な行いによってその地方に影響力を拡大させ、折々に大衆の支持を得た。主導権を望むのを事とする人物がこのことを賞賛せずにいられようか? 賢明な歴史家が元老院の賢慮を無言で素通りする道理があろうか? なるほどある歴史家は、ローマの人類への覇権は政策のかくも公正な洗練によって成し遂げられたものだと合理的に結論づけたものである。全ての機会における調和の取れた施策の採用――ある事柄の黙認、ある報告には耳を貸さないこと、見境なしの怒りの発露を時には抑え、国家の威厳と勢力に思いをいたして劣った者の機嫌を取り、後々の成功のための布石を打つ――観察結果がこれを正当化し、そういった施策の採用は個人の完成された優秀さ、思慮深い統一体の見事な現実主義、国家の美徳と知性を示している。この全てをその時代のローマの元老院は行い、それによって大帝国を得るために奮闘する全ての人、状況の光の下で問題に当たるのにどんなことが必要なのかを想像力を持つ全ての人に模範と様式を残した。
9 ペルセウスはイリュリア人の王で当時は彼らの最も有力な酋長だったゲンティオスに使節団を送って共同戦線を張ることを提案した。ローマ人と戦うことにはやぶさかではないが手元不如意だとゲンティオスが主張すると、ペルセウスは再び彼に〔使節団を〕送り、金の話には耳を貸さずにはぐらした。同じ応答を受け取ると、ゲンティオスの腹のうちをよく分かっていてこれに影響を及ぼせまいと気付いていはいたものの彼は三度目〔の使節団〕を送り、もし彼らの試みが計画通りに進めば自分は彼を十分満足させられると述べた。
 ペルセウスはまだ金の先払いには気が進まなかったので今一度ゲンティオスに使節団を送り、即時の資金供与についての言葉ではなく、彼らの企図の完遂の暁に彼が期待できる大きな事柄をほのめかす言葉を述べた。彼がこんな馬鹿馬鹿しい言い逃れと、そのように行動する者に荷担することになる露骨な狂行のどちらのことを考えるべきだったのかどうかは魅力的な問題ではある。彼らが大計画のために手を取り合って命を危険に晒すべきで、彼ら自身は要点を分かっていて必要を満たせるものが彼らの力の範囲にあったにもかかわらず、現実的に本質的なことを見逃すことさえもした。アミュンタスの息子フィリッポスという政治的手腕の真の持ち主ならこういう状況では決して金を惜しまなかっただろうし、それどころか要求された以上の金を渡すことですでにいた十分な数の裏切り者と同盟者を常に見いだしたことだろう。したがって当初の彼はヨーロッパの王の中でも最小の王だったにもかかわらず後継者のアレクサンドロスが人の住む世界のほとんどを征服できるだけの勢力を死に際して残した。しかしペルセウスは彼の祖先とペルセウス自身によって長年積み上げられた夥しい財産の持ち主だったにもかかわらずそれらに全く手を付けようとはしなかった結果、同盟者を離反させて後に彼を破った者をますます豊かにする始末だった。それでもなお彼が気前良くあることを選びさえすれば、彼の金で多くの君主と人々を彼の同盟者になるよう説得できたであろうことは全ての人にとって明らかである。もし彼がそうしていればより多くのギリシア人が敗北における災難に彼に巻き込まれていたか、彼は全ての主となって誇りある権威とほとんど抗し得ないほど影響力を帯びた地位を勝ち得たはずであるために、彼がそうしなかったことに実際のところ我々は感謝することだろう。
10 ペルセウスは幸運によってローマ軍を一掃する千載一遇の好機を得ていたにもかかわらず、マケドニアのディオン近くに留まっていた。彼がいたのは現場からそう離れたところではなかったが、この上なく重要な問題を惰弱にも彼は無視した。なるほど敵の全軍を捕らえるべく一矢を放ってラッパの一吹きでもしていれば、敵を逃げることの難しい崖と渓谷に封じ込められたであろう。しかし彼があまりにも無頓着だったために山の尾根に野営していたマケドニア軍は見張りと巡視を怠ってもいた。
 ディオンでペルセウスが自分のことで手いっぱいだった時、彼の護衛の一人が浴室に飛び込んできて敵が目と鼻の先にいると知らせた。王は取り乱すあまり風呂から飛び出て腿をしたたか打ちつけて叫んだ。「天上の汝ら神々よ、戦闘隊形を組む暇もなく我らを不名誉にも敵のもとに送り給いしや?」
11 ペルセウスは全てが完璧に失敗したと考えて完全に心が折れたため、ファコスにあった財産と金を海へと運ぶために財務官のニコンを派遣し、自身の護衛のアンドロニコスをテッサロニカへと送った。自分の方が主人より賢いことを示そうとしたアンドロニコスはテッサロニカへと向かったが、ローマ人が完全勝利を得るために……と考えて命令を実行しなかった。
 ペルセウスはディオンの金鍍金をした像を取り壊し、女子供を含む全ての住民を連れてピュドナへと去った。彼の行動の中でもこれほど大きな過ちは見受けられない。
12 ローマ軍は一転して勝者を敗走せしめた。実際、時には絶望が生み出した勇気は全く希望のない状況を不可能に見えた結末に転じさせるものである〔アンティゴネイア近くでの小競り合いでのローマ軍の勝利を指す(N)。〕。
13 キュドニアの人々はギリシア人の習慣とはほど遠い非道な行動に手を染めた。平和で信頼された友人の地位を享受していた時に彼らはアポロニア市を奪取して男と若者を皆殺しにし、女子供を分配して市を占領した。
14 アンティオコスは破れたエジプト人を殺戮できる立場にあったにもかかわらず、彼らを殺さず生け捕りにするよう部下たちに呼びかけて回った。大分後になって彼は自らの賢慮の果実を収穫することになり、この情け深い行動がペルシオン奪取に大いに資することとなり、後にエジプト全土を獲得することになった。
15 宦官エウライオスやシュリア人レナイオスといった若プトレマイオスの大臣たちは可能なありとあらゆる方法と手段に訴えて金銀と他の全ての富を王の宝物庫に貯め込んだ。つい最近くしと香料壺を捨てたばかりのこの宦官はアフロディテへの奉仕をアレスの競争へと取り替えて、すなわちアンティオコスは武力と将帥の資質において並ぶ者がいなかったにもかかわらず、コイレ・シュリアの奴隷として生まれてそろばんを手放したばかりの彼はシュリアをめぐる戦争へと敢えて取りかかったので、この男たちの努力にもかかわらずこの壮観が少しの間しか拝めなかったのは当然であった。おまけにこのような大仕事に取りかかったその男たちには戦争と戦いの経験がまるでなく、彼らには優秀な相談役や有能な将軍が一人もいなかった。予想通り彼ら自身はすぐにその愚劣さにお似合いの罰を受けることになり、彼らの権力の下でもそうなっていただろうが、王国を完全に滅ぼしてしまった。
 これとこれに類似した出来事を強調した我々の狙いは、成功と失敗の原因についての的確な評価を与えることである。我々は両者のうち事件における行動が見事な人たちに賞賛を、運営で失敗した人たちに非難を割り当てる。我々はそれによって人々が生き行動するところの諸原理と善悪の両方を白日の下に曝し、それぞれへの適切な説明を与えることで読者の心を良き事への模倣へと向き直らせるものである。同時に、海戦、軍事的衝突、さらに立法のそのまま生の話は作り事も同然であるために我々は能力の限りを尽くして我々の歴史書を全ての人にとって豊かで有用なものにするものである。
16 プトレマイオスの摂政団は人民を集会へと召集し、戦争を速やかに終わらせると約束した。彼らが戦争と彼ら自身の両方に終止符を打つのに速やかに成功したために、ここでは少なくとも彼らは間違ってはいなかった。しかし無経験のために彼らはシュリアのみならずアンティオコスの領地全土すら獲得できるのではないかと大きな希望を持ち、食器戸棚の金細工を含む彼らが積み上げた宝物の大部分を土地もろとも彼に差し出すことになった。また、彼らはほとんどが銀の足だが実際には僅かに金の足を持つ多くの長椅子、膨大な量の衣服、女物の装飾具、そして宝石の数々を荷造りして宮殿から運び出した。それらの品々は都市や砦を彼らに速やかに明け渡す者のものになるぞ、と彼らは宣言した。しかし、結果は非常に異なったものであり、彼らが運び出した宝物は彼ら自身の破滅を用意するものとなった。
17  我々の計画を続けるために我々はプトレマイオスの不名誉な敗走に言及せずにおくことはできない。直接的な危険に曝されていたわけでもなく敵から結構な距離を離れていたにもかかわらず、実質的には戦わずして彼は早々に偉大で華々しい王位への主張を放棄したようで、どうも全くもって女々しい性根を示したものとしか見えない。さて、プトレマイオスは自然とそういう性根の人間に育ったのであり、おそらく我々は自然と彼の欠点を見言い出すことができよう。しかし自然は彼の続くもろもろの行いの中にその非難への十分な反証を見出し、断固たる反抗的態度でも行動への活力でもこの王の右に出る者はいないことを証明したものであるため、我々はこの際の彼の不名誉な臆病ぶりの責任をあの宦官とプトレマイオスの彼との親密さのせいにするのを余儀なくされる。それというのもというのも彼は少年の頃から贅沢と女々しさを追求しながら育ったおかげで性格が駄目になってしまったからだ。
18 アンティオコスはペルシオンで働いた策略以外では自らが真の政治家、王の権威に相応しい男であることを示した。
 アンティオコスは問題のある僅かばかりの策略を駆使してペルシオンを手中に収めた。全ての戦争は法と正義の人道的基準の例外ではあるものの、戦争にすらある疑似的な諸法があった。たとえば、休戦は破られるべきではなく、使者は殺されるべきではなく、優勢な敵に抗戦して踏みとどまった者は罰や復讐を受けるべきではない、といったことがそれである。これらの事柄とそれに似た事柄……アンティオコスは自分が休戦の後に行った奪取に際してはむしろ屁理屈を言う弁護人のように、社会生活の紐帯である正義と栄誉ではなく法の条文に固執したと、適切にも言えよう。彼の言うところでは血縁を理由として自分はその若者を容赦したが〔プトレマイオス六世の母はアンティオコス四世の姉妹だった。〕、逆に彼の信頼を得た後にはこれを騙して完全な破滅へと追いやった。
19 ペルセウスはガリア兵の精鋭が自分の軍と合流すべくダヌビオス川を渡ったことを知ると、狂喜してマイディケ地域へと使者を送って大急ぎで来るよう求めた。ガリア人の指導者は賛同したが、総額五〇〇タラントンになる所定の棒給を自分の兵に払うよう要求した。ペルセウスはこの支払いに同意したが、持ち前の貪欲さのためにその合意を履行しないでいると、ガリア人は故郷に引き返した。
20 ローマ人アエミリウスは軍の指揮権を取ると兵に呼びかけて意気を出すよう激励した。彼は大体六〇歳で、以前の偉業のために当時はローマでは最高の評判を持っていた。この戦争でも彼は多くの新たな装置、他の人の発明の及ばない物を生み出し、彼自らの抜け目のなさと剛胆さによってマケドニア人を破った。
21 敗走中の自分の側により多くの兵を引き入れて自分と一緒に出航させようと望んだペルセウスは彼らの前に六〇タラントンの値の宝物を出して誰であれそれを取ることを許した。しかし出航してガレプソスに到着した後、財産を取った者たちに自分はアレクサンドロスによって鹵獲された戦利品から作られたある物を探していると知らせた。彼にそれらの文物を返した者には満額の補償をすると約束し、彼は即時の返還を求めた。兵たちは快く応じたが、それらの品を取り戻すと提供者たちを褒美の空約束で騙した。
 ペルセウスは兵に取っても良いと許可を出した宝物を取り戻した後、提供者たちを褒美の空約束で騙し、これによって貪欲はそれが続いてもたらす他の病に加えて人から機知を奪うことをこの上なく明白に証明した。なるほど、見通しが絶望的になっても、利益と利得を得たいという欲を忘れられなかったのは完全に分別を失った者の振る舞いとしか考えられない。マケドニア人がローマ人に破れ、こういう指導者の元で彼らがほんの四年しか持ち堪えることができなかったのは驚くべきことではない。
 アレクサンドロスとペルセウスは気質の上では毛ほども似ていない。前者は個人的な大望に相応の精神の偉大さを持って帝国を我が物としたが、後者は取るに足らないケチぶり――彼がいつも倣ったお決まりの行動である――でケルト人を遠ざけ、強力な古来からの王国を没落させた。
 最初の戦いの後にダレイオスがアレクサンドロスに帝国の一部を譲ることを提案して四〇〇〇〇タラントンと自らの娘の輿入れを申し出た時、アレクサンドロスはこの世は二つの太陽によって支配されることはできず、世界も二人の主によって支配されることはないと受け答えしたものである。
22 ペルセウスが逃げた後、アエミリウスは自分の年若い息子のプブリウス・アフリカヌスを探し始めた。彼は生まれではアエミリウスの息子だが、養子縁組みによってハンニバルへの勝者スキピオの孫になっていて、その時は一七歳くらいの若者にすぎなかった。若い頃から彼は数々の大きな戦いに参加して戦争の経験を得たために祖父に劣らぬ男となっていた。にもかかわらず、彼が野営地の中で無事だったのが見つかると執政官の心配は消え失せたが、それもこれもその少年への彼の感情は息子に対する父のそれだけではなく恋をする人の情念に似たものでもあったからだ。
23 執政官アエミリウスはその手でペルセウスをいざなって会議の場の真ん中に座らせ、その際に適当な言葉で慰めて元気づけた。それから会議の成員に呼びかけて彼ら、とりわけ若手に彼らの眼前のペルセウスの運命から目を離さず今の光景を肝に銘じ、彼らの功業でいたずらに思い上がらず、誰かに対する横柄な企み事を心に抱かず、概してどんな時でも幸運を当然のことと当て込まないようにと勧めた。なるほど私事であれ公事であれ一人の男の成功はいつであれこの上なく偉大なものであるからして、何にもまして彼は運命の逆転を顧み、彼の死すべき本性にこの上なく思いを致すべきである。彼が言うには「愚者はこの点で賢者と違っているのであって、すなわち前者は自らの不運から学び、後者は他者の不運から学ぶのだ」
 こんな調子で長々と話すと彼は会議の出席者の心持ちを共感的で謙遜したものにしたため、彼らは敵でもないのにあたかも破れたかのような様相を呈した。
 アエミリウスはペルセウスへの寛大な処置によって――彼に会食を許して会議に臨席させた――彼が自分に刃向かった者には峻厳だが破れた敵には寛大だということを全ての人に証明した。似たような振る舞いをした人は他にもいたため、ローマに帝国を差配するそういう男たちがいた限りはローマの世界を覆う支配は憎悪を起こすことがなかった。
24 ロドスの使節たちは、彼らが宣言するところでは、戦争はあらゆる人にとって有害であるので自分たちは和解を成立させるためにやってきたと言って賛同した。




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