27巻→ディオドロス『歴史叢書』28巻(断片)→29巻

1 マケドニア人の王フィリッポスは大胆な冒険者だったアイトリアのディカイアルコスに海賊行為を働かせるために二〇隻の船を与えた。彼は島々で年貢を取り立てて対ロドス戦争でクレタ人を支援するよう彼に命じた。これらの命に則ってディカイアルコスは商船を襲い、略奪遠征で島々から金を無理矢理取り立てた。
2 マケドニア人の王フィリッポスはタラスのヘラクレイデスなるならず者仲間と一緒にいて、このヘラクレイデスは王との私的な会話でフィリッポスが高く評価する友人たちに対する多くの誤った悪意ある非難を行った。結局フィリッポスは無慈悲にも諮問会の五人の委員を殺すほどにまで落ちぶれた。この時点から彼の状況は悪化し、不要な戦争を起こすことで彼は自らの王国をローマ人の手によってあわや失いそうになった。彼の気性の激しさを恐れて彼の友人のうち誰一人として敢えて心のままに話したり、王の愚挙を非難したりしようとはしなかった。ダルダノイ人は彼に何ら悪事を働いていなかったにもかかわらず彼は彼らに対する遠征軍を率いてき、彼らを会戦で敗った後に一〇〇〇〇人以上を殺戮した。
3 マケドニア人の王フィリッポスは彼の意欲的な野心とはうらはらに繁栄時には横柄になったため、裁判の便宜を図ることなく友人たちを殺して先の世代の墓を暴き、多くの神殿を破壊した。アンティオコス〔三世〕はというと、エリュマイスのゼウスの聖域を略奪する計画によって相応しい破滅を身に受け、全軍を道連れにして滅んだ。彼らは自分の軍が向かうところ敵なしだと思いこんでいたにもかかわらず、一度の戦いの結果として自分が他人の言いなりなったことを見て取った〔フィリッポス、アンティオコスそれぞれキュノスケファライとマグネシアの会戦のことを指す(N)。〕。その結果、彼らは自らの欠点を自らに降り懸かった運命のせいにし、彼らが受けた寛大な扱いについては勝利の時にあって中庸を心得て振る舞う人にぼんやりとしか感謝しなかった。かくして彼ら自身の行動で素描された計画をあたかも敷衍したかのように、彼らは天が彼らの王国を導いたかのようにして堕落していった。しかしこの機会にも後の機会にも正義の戦争のみを戦って宣誓と協定の遵守において良心的だったローマ人が全ての事業で神々の実際の支援を受けたのは故なきことではない。
4 悪意を持って私的な契約を反故にする者が法律と刑罰に抵触するだけでなく、不正な行いに手を染める王たちですら天上で報いを受けるということを我々は明記しておきたい。法が民主主義国家の市民にとって人間の行いの裁定者であるのとちょうど同じように神は権勢ある地位にいる人の裁判官であり、徳を追い求める人には彼らの徳に相応しい報償を認め、貪欲や他の悪徳にふける者には相応の罰を速やかに与える。
5 物資を得る必要に駆り立てられたマケドニア人の王フィリッポスはアッタロスの領土、果てはペルガモンの門にすら略奪に向かった。彼はその都市の周りの聖域を荒らし尽くし、豪勢に飾りたてられたニケフォリオンとその彫刻で称賛を受けていた他の寺院に甚だしい冒涜行為を行った。事実、彼はアッタロスと戦うにしてもその国のどこでも彼を見つけられなかったためにそれらの寺院に癇癪をぶちまけたというわけだ。
6 フィリッポスと会うためにアビュドスへと航行すると、マルクス・アエミリウス〔・レピドゥス〕は元老院の同盟諸国に関する決定を彼に伝えた。フィリッポスが答えて言うには、もし彼ら〔ローマとフィリッポスの〕の諸合意を守るならばローマ人は正しく振る舞うことになろうが、それらを足下に踏みにじるならば自分は彼らの不正な侵略の証人として神々を呼び寄せ、彼らに対して自衛を行う、と。
7 アテナイに到着すると、マケドニアのフィリッポスはキュノサルゲスに野営し、続いてアカデメイアに火を放って墓を壊し、神々の聖域の冒涜すら行った。したがってあたかも神々よりむしろアテナイを攻めているかのように怒りをほしいままにすることで今や彼は長らく彼を罵ることになった人類からのまったき憎悪を被っただけでなく、神々からの懲罰に相応しく速やかに頭を垂れることとなった。思慮の欠如によって彼は完敗を喫し、彼が寛大な扱いを受けたのはローマ人の容赦のおかげでしかなかった。
8 フィリッポスは自分の兵が意気消沈しているのを見ると、勝ち誇った軍にはいかなる病もない一方で破れて死んだ者にとって致命傷に大小の別はないと指摘して激励した。
 一般的な規則として卑しい性根の者は仲間に似たような事を教え込むものである。
9 フィリッポスはマケドニア人のほとんどがヘラクレイダイ〔明らかにヘラクレイデスの間違い〕への彼の友情のために彼に対して怒っているのに気付くと、彼を収監した。タラス生まれのヘラクレイダイはずば抜けた悪党であり、フィリッポスを有徳な王から残忍で神をも恐れぬ暴君ならしめ、そのためにマケドニア人とギリシア人の全てから深い憎悪を被った。
11 エペイロス人がフィリッポスとフラミニヌスに使節を派遣した折り、フラミニヌスが心に抱いていたことは、フィリッポスがギリシアから完全に撤退して以後のギリシアは守備隊が置かれずに自治権を持つべきであってフィリッポスは彼の真義への違反によって被害を被った人たちに十分な賠償を行うべきであるというものだった。フィリッポスは、自分は父から受け継いだ財産を保証されるべきだが獲得したあらゆる都市から守備隊を引き上げさせて被害の問題を裁定に委ねるつもりだと答えた。これに対するフラミニヌスの返答は、裁定の必要はなく、フィリッポス自身が自分が悪事を働いた人たちと約定を交わし、それから元老院の命令下で彼自身がギリシアを解放すべきであり、これらは全体としてなされるべきであって部分的になされてはいけない、というものだった。フィリッポスは「もし貴殿らが私を戦争で破ったならば、どれほど重い条件が押しつけられるのでしょうか?」と尋ねて言い返し、怒り狂いながらこれらの文言を放った。
12 アジアの王アンティオコスがリュシマケイア市の再建に着手していた時、フラミニヌスが送った委員たちが到着した。会議の場へと導かれると、彼らは以前にプトレマイオスやフィリッポスに従属していた諸都市から手を引くようアンティオコスに呼びかけ、概して自分たちは彼が軍備と海軍を集めている目的と、もしローマ人に戦争を起こすというわけでないのならいったいどんな意図の下にヨーロッパへ向けて海峡を越えたのかいぶかしんでいると言った。自分はどんなことであれイタリアに干渉していないにもかかわらずローマ人がアジアへの利害を主張している、そしてリュシマケイアの再建にあたって自分はローマ人にも他の誰にも悪事を働いていないし、プトレマイオス〔五世〕との血縁に関して彼自身は娘〔クレオパトラ〕を彼に娶らせることでそれら全ての争いを避ける計画を持っていると返答してアンティオコスは驚きを示した。このやりとりの後、このローマ人たちは不機嫌ながらも出発した。
10 ハンニバルの名と名声はそれだけで世界中で彼を有名人にし、あらゆる都市で個々の人たちは躍起になって彼を一目見ようとした。
13 協定を締結するためにナビスとフラミニヌスによって使節団がローマへと送られ、彼らは命じられた諸問題について元老院と会談し、元老院はギリシアから守備隊と軍隊を撤退するという条約を批准した。和解の知らせが届くとフラミニヌスはギリシア全土の指導者たちを呼び寄せ、集会を召集してローマのギリシア人への善行を繰り返し述べた。ナビスとの和解の弁明の中で彼は、ローマ人は彼らの力の範囲内にあることを行ったのであり、宣言されたローマの人々の方策に則ってギリシアの全ての住民は今や自由となり、守備隊を置かれぬこととされ、全てのうちで最も重要なことは彼らが自らの法で統治されることだと示した。代わりに彼はギリシア人に彼らのところで奴隷になっているイタリア人〔ハンニバルが奴隷として売りさばいたイタリア人捕虜(N)〕を捜索して三〇日以内に彼らを本国に送り返すよう求めた。実現されたのは以上のことである。
14 エジプト王プトレマイオス〔五世〕はしばしの間は賛同していた。アリストメネスが彼の後見人に任命され、あらゆる面で有能な管理者となっていた。さてプトレマイオスは始めから彼を父親のように慕っていて、彼の判断には全面的に従っていた。しかに後に宮廷人のお追従で堕落した彼はアリストメネスをその率直な物言いのために嫌うようになり、ついにはドクニンジンを飲んで死ぬことを強要した。彼の次第に増していった暴虐さ、そして王らしい権威ではなく僭主的な資格での負けず嫌いぶりは彼へのエジプト人の憎悪を生み出し、それは彼の王国をほとんど対価として費やさせることとなった〔上エジプトとデルタ地帯で発生したエジプト人(プトレマイオス朝ではギリシア人が支配階層を形成し、土着のエジプト人は被支配階層だった)の反乱を指すのだろう〕。
15 元老院はギリシアからの使節団にもう一度面会を許して彼に友好的な物言いで挨拶をしたが、それは彼らが差し迫っていると考えていたアンティオコスとの戦争に際してギリシア人の好意を望んでいたからだった。フィリッポスの使節団は、もし彼が誠意を持ち続ければ元老院は賠償の支払いを免除して彼の息子のデメトリオスを解放するつもりだと言われた。アンティオコスのところからやってきた使節団はというと、彼らが述べたてた元老院が王から非難を受けていたという問題を聴取するために元老院の一〇人からなる委員会が発足された。会合が開かれると、使節団長のメニッポスが自分はアンティオコスとローマ人の友好と同盟の条約を結ぶために来たのだと述べた。しかし彼は以下の如く述べた。ローマ人がヨーロッパのとある出来事に介入するなと命じ、或る諸都市への主張を非難し、彼のものである年貢の一部を徴発するにあたってどんな理由を持ちうるのかと王は不思議に思っている。対等の条件での友好条約が交渉されている時にこういった要求がなされるのは前例のないことであり、それらは戦争を終わらせる征服者の要求であり、リュシマケイアの王に向けて送られた使者ですらこれらの問題についての厳命を頭ごなしに彼に押しつけている。アンティオコスは未だかつてローマ人と戦ったことがなく、そして彼らがもし彼との友好条約を発効させたいと望むのであれば、王は喜んでそうする準備がある、と。フラミニヌスが答えて言うには、二つの道が開かれていて、元老院は王にそのうち一つを選ばせる、と。もし彼がヨーロッパに手を出さないでおけば、ローマ人はアジアの事柄に干渉するつもりはない。しかしもし彼がこの方策を選ばなければ、ローマ人は隷属されつつある友人たちを助けに赴くつもりであることを知ることになるに違いあるまい。それから使節団が自分たちは言われたままの条件を鵜呑みにして同意すれば王冠の権威を減じることになると答えると、翌日に元老院は、アンティオコスがもしヨーロッパの問題を全面的に口を出すならばローマ人はアジアのギリシア人を解放するためにあらゆる手を講じるつもりだとギリシア人に告知した。ギリシア諸国の使節団がこの発言に拍手喝采すると、王の使節団は元老院に対し、これが両派のそれぞれをどれほど大きな危険に晒すことになるのか考え直し、直接行動を起こすのではなくむしろ王に考える時間を寄越し、そして彼ら自身がこの事案をより慎重に検討するよう呼びかけた。




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