訳者のはしがき

 以下のテクストはジョン・バグナル・バリー(John Bagnall Bury)の『末期ローマ帝国の歴史』(History of the Later Roman Empire, 1923)から16章から19章までを抜粋して訳し、『ベリサリウス戦記』と改題したものです(底本はLacusCurtiusにあるテクスト)。
 この翻訳の動機は私のベリサリウスに対する興味です。彼は中世屈指の名将として名高い人物ですが、どうも彼のどこがどう凄いのかがよく分からない。アレクサンドロスならば槌と金床戦術、ハンニバルならば騎兵を使った包囲という風に各々のカラーなり常套戦術なりがあれば分かりやすいのですが、私はベリサリウスのそういったものがいまいち分からないのです。この大きな理由の一つは恐らく資料不足であり、2013年現在ベリサリウスの活躍を記録したプロコピウスの『戦史』さえ邦訳されていません(京都大学学術出版会が出す出さないというのを小耳に挟んだことがあるのですが、そうだとしてもいつになることやら)。『戦史』はなくとも、そこそこ詳しい記述があるギボンの『ローマ帝国衰亡史』(6分冊目)が邦訳されておりますが(ちなみにこの邦訳の底本の編者は上記のバリーです)、戦争の経過に関して言えばどうも起こったことや記録されていることをそのままなぞっているだけという印象を私は覚えます。つまりその将軍のカラーなり常套戦術なりを炙り出すための詳細で緻密な分析が欠けているわけです(ベリサリウスの戦術を分析するのが『衰亡史』の目的ではないことを考えればこの非難はお門違いもいいところなのですが)。日本人による本としては松谷健二氏の『ヴァンダル興亡史』と『東ゴート興亡史』という類書のない二冊の素晴らしい本があります。それらはそれぞれベリサリウスが対決した二勢力、ヴァンダル王国と東ゴート王国の歴史を綴っており、それらの本には当然彼らとベリサリウスとの戦いの記述も含まれています。しかし、戦いについての記述はあっさりしていて何だか食い足りない。だから、今現在日本語の本を読んでみてもベリサリウスはどこがどう凄いのかが何だかよく分からないし、探してもあまり詳しく述べている本がない状況なのです。そこで、ベリサリウスはどこがどう凄いのかを探るべく、そしていずれ訳されるであろう『戦史』との重複を避け、その予習なり解説、さらにはこの分野に興味を持つ人が増えてほしいという意図も込めつつ、上記の諸章を訳してみようと思った次第です。
 簡単に各章について紹介するならば、16章の「ペルシア戦争」では初めに六世紀東ローマ帝国の軍制についての説明がされており、次いで五二七年から五六二年までの東ローマ帝国とササン朝ペルシアとの断続的な戦争が述べられています。17章の「アフリカの再征服」の内容は北アフリカを領するヴァンダル王国との戦争と征服後の諸々の戦後処理です。そして、18章の「イタリアの再征服 1」と19章の「イタリアの再征服 2」ではイタリアに蟠踞する東ゴート王国との戦争が述べられており、とりわけ18章では東ゴート王ウィティギスの捕縛で終わる前半戦が、19章では泥沼化した後半戦(途中でベリサリウスは退場するのですが)が述べられています。
 なお、あまり興味が湧かない18章11節の「ボエティウス、カシオドルス、そしてベネディクトゥス」、ベリサリウスや戦争全体の流れの把握に対してさほど重要とは思えなかった19章付録の「ブスタ・ガロルムの戦いについて」は訳出しませんでした。興味のある方は原文をあたっていただけると幸いです。



ローマ帝国衰亡史〈6〉第39‐44章―ユスティニアヌスとビザンティン帝国 (ちくま学芸文庫)
ヴァンダル興亡史 地中海制覇の夢 (中公文庫BIBLIO)
東ゴート興亡史―東西ローマのはざまにて(中公文庫BIBLIO)


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