3節 属州の要塞化

 ムーア人と戦うと同時にソロモンは将来の蛮族の襲撃からアフリカ属州を守る防衛力強化の大計画を実行に移していた。彼は古い町々を要塞化・再建し、新しい砦を建設した。要塞の建設はユスティニアヌスの政策の顕著な特徴の一つであった。東方、バルカン半島、そしてアフリカで敵に曝されていた全ての属州は慎重に考え抜かれた原則の上で建設された砦で守られた。しかしアフリカでは土壌がそれらの廃墟で覆われていたため、最もうまく機能する防衛体制が研究された。未だに見られるソロモンの時代まで遡る多くの城壁と砦は今日の軍事の手引書に載っている原則と規則についての最良の解説である。
 要塞化された町々は小さな砦の鎖と連結され、最初の国境防衛線を成した。この向こう側には第二の防壁、即ちより大規模な守備隊のいるより大きな諸都市があり、それらは全て侵入の際には住民が避難できるようになっていた。国境に配置された見張りが部族の差し迫った動きを見つけると夜には火、昼には狼煙の合図という古いやり方で警報を出し、これによって村々の人々は城壁に囲まれた町に逃げ込む時間を得て内陸地の守備隊は準備ができた。
 多くの場合町は城壁で完全に囲まれ、一部の場合は分離した砦で補助的に守られていた。他の場合には町々は開かれており、砦によって守られていた。ビュザケナの国境のテヴェステ、テレプテ、そしてアマエデラにある隣接する要塞群は三つの型の好例を示している。完全に要塞化された町の特徴は塔が備え付けられた城壁、外側の城壁、そして堀であり、二つの城壁の間の空間は緊急時に開けた地域から群れをなしてやって来た避難者を収容できる程度には広い。しかしこの設計は例外なく見られるものではなく、時折外側の城壁や堀がなかったりする。この多様性は地域的な状況に依存しており、砦の形は自然の地形に応じていた。可能であれば正方形の形が採用されたが、非常に不規則な形が地形のために時折必要であった。テヴェステはよく保存された大型要塞の例であり、それは〔縦横がそれぞれ〕およそ350ヤードと30五ヤードの大きさの長方形で、三つの門と端の塔があった。より小さい城郭(122ヤードと75ヤード)であるタムガディはそれぞれの角とそれぞれの辺の中央に塔があった。レムサのような小さい砦は四辺のそれぞれに塔があった。
 ビュザケネ州のカプサ(ガフサ)からマウレタニア・シティフェンシスのサビ・ユスティニアナとタマラまでの長い要塞の線はアウラシア山脈の北側の山麓の丘陵地帯を辿ることができる。テレプテ、テヴェステ、アマエデラおよびその北のマスクラとバガイ、タムガディ、ランビリディ、ケラエ、そしてトゥブナエは主要な軍事上の要地であり、小さな要塞と砦と繋げられることで側面を守られていた。南からの侵入者がこの線を通過すれば、住民はビュザケナのスフェス(スビバ)とクシラ(ケッセラ)、総督属州のラリブス(ロルベウス)、シッカ・ウェレリア(ケフ)、トゥブルシウム・ブエ(テブルスク)、ティグニカ(アイン・トゥンガ)、ヌミディアのマダウラ(ムダウレク)、ティパサ(ティフェク)、カラマ(グエルマ)、ティギシス(アイン・エル・ボルジュ)といった上に述べたような内側の少数の軍事的要地に避難所を求めた。
 マウレタニア諸州はより簡単に保持された。ユスティニアヌスがガデス海峡のセプトゥムの要塞の難攻不落の城壁による補強に留意したことを見るのは興味深い。この帝国の最前哨基地は監視の要であった。即ち海峡を監視し、スペインとガリアの政治的事件の情報を集め、上司であるマウレタニアの地方司令官に報告を送ることは忠実で分別のある指揮官に委ねられるべきであると彼は指示した。