アッピアノス『ローマ史』「イタリア史」(断片)

ウォルスキ人は隣人の不運から全く恐れの念を抱かず、ローマ人に対して戦争を起こして彼らの諸々の植民都市を包囲した。
『スーダ辞典』より

マルキウス〔・コリオラヌス〕が執政官職を求めた時に人々は彼を落選させたが、それは彼が不適切だと思ったからではなく、彼の横柄な気質を恐れていたからだった。
『スーダ辞典』より

マルキウスは自身を追放したローマ人に対して憤慨し、ウォルスキ人に寝返って小さくない復讐を企んだ。
『スーダ辞典』より

そこ〔ウォルスキ人のもと〕に到着して祖国と親族を咎めた時の彼は別段何も企んではいなかったが、ウォルスキ人に味方して祖国に弓引こうと意図した〔「メンデルスゾーンはこの断片全体には欠損があると考えている」(N)。〕。
『スーダ辞典』より

1 マルキウスが追放されてウォルスキ人のもとに逃げ込み、ローマ人に戦争を仕掛けて都市〔ローマ〕から僅か四〇〇スタディオンの場所に野営すると、彼に平和を求める使節を送らなければ城壁を敵に明け渡すつもりだと人々は元老院を脅した。元老院は渋々ながらこのために全権大使団を派遣した。ウォルスキ軍の野営地に到着した彼らが彼とウォルスキ軍の司令官たちの面前へと通されると、彼らは彼が戦争をやめれば大赦と都市への帰還の許可を与えると彼に申し出て、元老院は彼に何ら悪事を働いていないことを彼に思い起こさせた。彼は自分とウォルスキ人に対して多くの悪事を働いたとして人々を責めたが、彼らがウォルスキ人から奪った土地と町々を引き渡して彼らにラテン人と同等の市民権を認めればウォルスキ人は和平に応じるだろうと約束した。しかし敗者が勝者に属するものを保持するつもりであれば、何があっても和平が結ばれることはあるまいと彼は見ていた。こういった条件を指定すると彼は使節団を帰し、検討のために30日間を与えた。それから彼は残りのラテン人の町々へと転じ、30日間でそのうち7つを落としてローマへと返答を受けるために戻ってきた。
2 彼がローマ領から軍を引くならば適切な条件で和平を締結するために彼のもとへと使節を派遣したいと彼らは応じた。彼がこれを拒むとローマ人は祖国に相応しくないことをしないよう彼に嘆願させるために、そして彼の指図によってではなく彼らの持ち前の自由意志によって和平の締結まで持って行くために他の10人を送ったが、それは彼が自分の国家の栄誉、そして自身の何も悪事を働いていない父祖の習わしを慮っていたからだ。考え直すためにもう3日与えるとだけ彼は答えた。そこでローマ人は嘆願をさらに重ねるために聖なる衣服を着た祭司たちを彼のもとへと送った。彼らは自分の命令に従うべきである、もしくはもう一度自分のもとに来る必要があると彼は彼らに述べた。それからローマ人は籠城の準備をし、マルキウスと上から戦うべく城壁へと石と矢玉を運んだ。
3 プブリコラの娘のウァレリアはマルキウスの母ウェトゥリアと彼の妻ウォルムニアのもとへと女たちを連れてやってきた。この女たちは全員喪服に身を包んで子供を嘆願に付き添わせ、彼女らと一緒にマルキウスに会いに行きたいと、そして自分たちと国家を助けてくれるよう彼に求めたいと懇願した。元老院はこの女たちに自分たちだけで敵の野営地に乗り込むことを許した。マルキウスは女たちですら感化するほどのその都市の高邁な勇気を認めたため、母を敬って先導警吏の杖と斧を下げさせて彼女らに会いに出向いた。彼は駆け寄って彼女を抱擁し、ウォルスキ軍の会議に彼女を連れて行き、彼女の望みを話すよう言った。
4 彼が都市から追放されたせいで母である自分は多くの悪を被ったと、そしてローマ人は領土を荒らされ多くの町が破壊されて使節として執政官と祭司を、ついには母と妻を派遣して布告を取り消して過去を水に流して祖国に平穏を取り戻すのを認めてくれるよう申し出るほどの窮地に追い込まれていたと、そして彼らは彼の手で酷い目に遭わされてもう十分に罰を受けたのを自分は見てきたと彼女は言った。彼女が言うには「癒やしようのない悪によって悪を癒やしてはいけないよ。お前が人を傷つけるように自分も傷つける災難の原因になってはいけないよ。お前はどこへ松明を持って行くというのかい? 原野から都市まで? 都市からお前の炉端まで? お前の暖炉から神々の神殿まで? 倅や、私たちが嘆願しているように私とお前の祖国を憐れんでおくれ」。彼女がこのように述べると、自分を放逐した国家は自分の国家ではなく、むしろ彼に逃げ場を与えてくれた土地こそが自分の祖国だとマルキウスは答えた。彼を尊重しないことは不正であり、彼に良い扱いをしてくれる敵などいない。彼はここにいる人たちに目を向けるよう彼女に言った。この人たちは互いに友誼の誓いを交わし、彼に市民権を認め、彼を自分たちの将軍に選び、彼らの私的な利害を彼に委ねてくれた人たちであり、彼は彼に授けられた栄誉と彼がした宣誓に触れ、彼女も自分と同じ人たちを友として、そして敵としてみなすよう求めた。
5 彼がまだ話していると、彼女は怒りを爆発させて両手を点に掲げ、家の守り神に祈願した。彼女は言った。「女たちの行列が深い苦しみと供にローマを出たことは二度あったんだよ。一度はタティウス王の時で、もう一度はガイウス・マルキウスの時。この2度のうち、外人で宿敵だったタティウスは女たちを敬い、彼女らに譲歩してくれた。マルキウスは妻を含み、母も同行している女たちの同じような代表団を軽んじているんだよ。今一度息子の足下にひざまずく必要が生じるほどに息子のために不幸な目にあった母親など他におるまいて。私はこの通りにしなきゃいかん。私はお前の前にひれ伏さないといけないんだよ」。そう述べると彼女は地面にひれ伏した。彼は涙を流して駆け寄り、彼女を立たせて気持ちを高ぶらせながら「母上、俺は勝利しましたが、これはあなたが息子を失うことによって得た勝利です」と叫んだ。そう言うと彼は、ウォルスキ人に理由を説明して両方の民を講和させようとして軍を引かせた。彼はウォルスキ人を説き伏せることができるだろうと多少は期待されていたが、彼らの指導者アッティウスの嫉妬により彼は処刑された〔「コリオラヌスの話はリウィウスの第2巻35-41で、そしてハリカルナッソスのディオニュシオスの第8巻で大分長い話が、そしてまたプルタルコスのコリオラヌス伝で見受けられる」(N)。〕。
『使節について』より

マルキウスはこれら〔「の要求」(N)〕のどれに反論するのも適当だとは考えなかった。
『スーダ辞典』より

〔ファビウス一族は〕不運の故にいたく憐れまれたのと同じくらいに勇気への賞賛を受けるのに相応しかった。というのも彼らの人数、この高貴な一族の権威、そしてその全滅の故にそれはローマ人の大きな不運だったからだ。このことが起こった日はこれ以降は不吉だと考えられるようになった〔「ファビウス家の話と彼らの対ウェイイ戦争への自発的参加、彼らが待ち伏せで全滅した話はリウィウスの第2巻48-50で述べられている」(N)。〕。
『スーダ辞典』より

昔の悪行を思い出して軍は将軍(アッピウス・クラウディウス)に憤慨し、彼への服従を拒否した。彼らは故意に拙く戦って敗走し、あたかも負傷したかのように体に巻き布をした。彼らは野営地を片付け、指揮官の無能さのせいにして退却を試みた。
『スーダ辞典』より

1 ウェイイ占領後にユピテルからの凶兆が見受けられた。何らかの宗教的な義務がないがしろにされたのだと卜占師らは言い、カミルスは湖に関する神託〔「ローマ人がアポロン神にウェイイから得た戦利品の十分の一を奉納した時にアルバ湖について凶兆が出た」(N)。アルバ湖が増水した時に「ローマ人よ、アルバの水を湖にそのまま留め置くことはならぬ。とはいえ川を使って海に流すこともならぬ。あふれた水を回畑に引き込み、張り巡らせた水路を使って流し去れ。その後はなにも恐れることなく敵の城壁を攻め立てよ。いまここで明らかにされた予言によって、長いあいだ包囲を続けた町に対する勝利がお前たちに約束されていることを忘れるな。戦争終結ののちには、わが神殿に多くの供物を捧げ持て。ないがしろにしてきた父祖伝来の祭儀を古来のしきたりとおりに復活し、挙行せよ」というアポロンの神託が下っていた(リウィウス, V. 16)。〕を与えた神のために戦利品の十分の一を取っておくのを忘れていたことを思い出した。したがって元老院は、ウェイイから何か取った者は各自で査定をして宣誓の上で十分の一を持参すべしと布告した。彼らの信仰心は戦利品とは別にすでに売却されていた大地からの収穫物の十分の一を追加の奉納にするのを躊躇わないほどのものであった。こうして手に入れた金で彼らは黄金の杯をデルポイの神殿に送ったが、これはオノマルコスがポキス戦争中にこの杯を溶かすまでローマとマッシリア人の宝物であり、真鍮の台座の上に鎮座していた。この台座はまだ立っている。
2 カミルスは後に凶兆の張本人だったとして人々を前に告発された。しばし彼と対立していた人々は、彼が最近息子を失ったばかりだというのに情け容赦なく重い罰金刑を課した。彼の友人たちはカミルスの面目を守るために金を持ち寄った。彼は甚く落胆してアルデア市へと亡命し、ローマ人がカミルスを求める時が来るようにとアキレウスがしたような祈りをした。私のガリア史で述べたように、ガリア人が都市〔ローマ〕を占領すると人々はカミルスに助けを求めて再び彼を独裁官に選出したため、事実、これは実に早く実現した〔「リウィウス, V. 43以下。プルタルコス, 『カミルス伝』」(N)。〕。
ペーレスクの手稿より

貴族のマルクス・マンリウスはガリア人の侵略からローマ市を救った時に最高の栄誉を受けた。後に祖国のために幾度も戦って債務奴隷になっていた老人と会うと、彼は彼の借金を肩代わりした。この行動を絶賛されたために彼は自分の債務者全員を債務から解放した。彼の栄光はこれで大いに増したため、彼は他の多くの人の借金を肩代わりした。人気によって頗る意気を上げたために彼は全ての借金の帳消し、あるいは人々がまだ分配されていない都市を売却して債務者の開放のための利益に充てることを提案しさえした。
ペーレスクの手稿より




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